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逸品館メルマガ371「2015年11月1日号」

みなさま、こんにちは。昨晩道頓堀とアメリカ村周辺は、ハロウィンで大騒ぎで した。私の若い頃は、社会人になれば、人目を憚って大騒ぎは控えたものです。人に迷惑をかけない。クールに振る舞うのが大人と思っていました。マスコミに過剰に煽られた連中が付和雷同しているだけのようにも見えますが、時代は確実に変わっているようです。 とても哲学的な夢を見ました。世をはかなんでいる人を、「価値観は一つじゃない、事象は見方によって無限の広がりがある。」と一生懸命説得している夢です。砂漠で喉の渇いた一人の旅人に、コップ一杯の水を差し上げることを「水を差し出す人の側」から考えます。 私は「水を飲んで幸せを感じる旅人の気持ちが嬉しくて」、もっと多くの旅人にも同じように水を差し出したいと思います。「旅人の満ち足りた幸せな気持ちを共有することが幸せ」と感じるからです。 けれど「水を差し上げる」という行為の「優越感を幸せ」と感じる人もいるでしょうし、差し上げる水の「おいしさ」にこだわり、水そのものをもっと美味しくしたいと考える方もいらっしゃるでしょう。あるいは、水を差し出す容器や、水を準備する家屋にこだわる人もいらっしゃるかも知れません。残念ながら水に毒を入れて、旅人が倒れる隙に金品を奪おうとする悪人もいることでしょう。 人間は色々な考えや価値観を持っています。私達は、数の論理でそれを「善と悪」 に分類していますが、善であれ悪であれ、人間以外から見れば、それらはすべて「ただの出来事」にしか過ぎません。善も悪も、価値も無価値も、それらは全部人間が勝手に決めていることだからです。 出来事の評価は、人種や年齢、性別や考え方、あるいは宗教や立場などでまったく変わります。だから、自分をダメだ、価値がないと決めつけるのは早計だと、夢の中で一生懸命に誰かを説得していましたが、その誰かはもしかすると私自身だったのかも知れません。 私達は、共感できれば喜びを、そうでなければ寂しさや怒りを感じます。豊かな人生を生きるためには、悲しみや苦しみよりも、喜びを分かち合うことです。だからこそ、音楽や映画という「人の気持ちを伝える装置」には、家電以上の価値を感じるのです。良い装置と、良いソフトとの出会いは、私達の生活を豊かにしくれます。また、「繋がりを求める」と言う意味では、日頃人との関係が希薄になる現代で、あえて素顔を隠して、コスプレをして大騒ぎする気持ちも、分かるように思います。 8月13日に3号館で、歌手Kさんの逸品館訪問ロケが行われました。オーディオ好きなミュージシャン「Kさん」が逸品館を来訪し、新しく発売した彼のアルバム「EAR... 続きを読む

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