StereoSound(ステレオサウンド) 150号「ピュアオーディオのあり方」

ピュアオーディオが斜陽だ。オーディオマニアのイメージがジメジメしてしかも理屈っぽい「根暗系オタク」に偏りつつある。ピュアオーディオをより深く音楽を聴く手段とする「正統派音楽ファン」のお客様の心情を察すれば、この状況は断腸の思いに耐えない。さらに、インターネットなどを根城とする「えせ評論家気取りマニア」の「ばかげた物言い」が「音楽ファン」をさらに遠ざけているのは想像に難くない。
本来、オーディオに求められるのは「論理」ではなく「感覚」。音楽が楽しめるか否か?音楽が感動的に聞こえるか否か?それが第一の判断基準であり、高域がどうとか低域がどうとか、あるいはテクノロジーがどうとか・・・音楽とは無関係な言葉はオーディオを「不健全」にしてしまうだけのように感じているのは私だけなのだろうか。
人間の思念を深く時間が昇華させた「音の芸術」は、いうまでもなくオーディオ技術などより遙かに高度で「音楽」は、決して薄っぺらなオーディオマニアのおもちゃではない。オーディオ装置を「技術的で希薄な言葉」で語って欲しくない。もっと「美しく」・「深く」そして「感動的な台詞」でオーディオ機器を論評して欲しいと心から願う。
「手軽でしかも安く「音楽と付き合う」ためには、2Chよりもサラウンド(マルチチャンネル)の方が適しているこのは今までに説明してきたとおりだが、より真摯に「音楽と向き合う」ためには、高いテクニックと見識が求められる2Chしかないという思いも未だ捨てがたい。
火中の栗を拾うような矛盾は感じるが「知性」・「理性」・「感性」を磨き抜く「高尚な趣味」としての2Chオーディオを復権したい。人間には苦しさの中にしか本当の幸せが、悩みの果てにしか本当の出口が見いだせないように「ある種の難しさ」が「趣味としての本質を高める」ことは避けられない、そして純然たる事実なのだから。

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