前号では、言葉はデジタル的に音はアナログ的にイメージ(心象)を伝え、さらに危険を知らせる「クラクションの音」を例にあげて音が与えるイメージは万国共通だと説明しました。今号では、もう少し掘り下げて「なぜ音が世界共通の言語であり得るのか?」その理由を「音」を「食べ物」に置き換えて考えてみましょう。
「塩辛い」という概念を言葉で伝えようとするなら、話し手と聞き手には「同一の言語に対する理解」が必要になりますが、言葉ではなく双方が実際に「同じ塩辛い食べ物」を口にしたとすればどうでしょう?「塩辛い」と言う概念は、言葉を介さず瞬時に理解(共有)できるはずです。このように「言語」ではなく「感覚」なら、学習(言葉を覚える)の必要がなく、また人種や国籍にもかかわりなく理解(共有)できるのです。先ほど例にあげた「クラクション」という「音」が「味」と同じように人種や国籍にかかわりなく理解できるのは、「理」ではなく「感覚」に訴えるからです。人間の心象(心のイメージ)を「音」という「感覚」に置き換えるのが「音楽」です。だから「音楽」は「味」と同じように、人種や国籍にかかわりなく、また学習(音を覚える)の必要もなく伝わるのです。
モーツァルトを聞かせたお酒が商品化されているのをご存じですか?モーツァルトを酵母に聞かせながら発酵させると「味が良くなる」という話です。他にもモーツァルトを聞かせた果物や畜産物が発売されていますが、これらは決して「まやかし」ではなく科学的な証明がなされています。ある種の「音波」が与える振動には、生体内での必須アミノ酸の合成を活発化させる働きがあり、その音波を照射すると成長が促進され味や香りが良くなるのです。一般に知られている音楽の中では、モーツァルトにその音波が最も多く含まれているため、成長段階の生物(細胞)にモーツァルトを聞かせても同様の効果が得られるのです。モーツァルトは、肉体だけではなく、精神に対してもよい影響を及ぼすといわれ、実際に鬱の治療などに用いられるほどですが、このよう「音」は、感覚器官から直接脳に入り、人種や国籍を問わず、無意識下でも人間に様々な影響を与えます。
私たちに澄み切って聞こえる音の組合せ、たとえば「ドミソ」というような和音は、「ほ乳類」に共通して「整った和音」に聞こえるといわれています。また、「長調は楽しく」「短調は悲しく」聞こえ「4拍子」は気持ちを高揚します。それらは、すべて「教育」や「人種」とは無関係の、人類共通の本能的(生まれ持った)感覚なのです。このように音楽は、モーツァルトのように細胞レベルで影響を与えるだけでなく、神経組織のレベルでも、人間の心に影響を与え、音色やリズム、メロディーに応じた「人類共通の感覚」は、確実に存在します。
これらの音が脳にどのような影響を与えているか?考えてみましょう。私たちが音を聞いたとき(音という刺激を感じたとき)には、聴覚によって電気信号に変換された音波が左右の耳を基点として波のように脳全体に広がります。この脳の中に広がる「電気的な刺激=パルス」がある一定のパターンを形成するときに、人間はその刺激を「心地よい=いい音」だと感じるのではないでしょうか?聴覚からの情報だけではなく5感からの情報は、脳の中ではすべて電気的な信号として処理されます。この電気的な信号のパターンが、やはり「ある特定のパターンを形成するとき」に人間はその刺激を「心地よい」と感じるのだと私は考えています。この考え方だと芸術全般に「ある一定の尺度による評価」がくだせる説明にもなるのではないかと思います。
さて、ここまでの説明で誰が聞いてもいい音と感じられる「普遍的ないい音」が存在することはご理解いただけたと思います。しかし、それにもかかわらずオーディオ機器の音質評価になった途端に「個人差」があんなにも大きくなってしまうのはなぜでしょう?同じ音のはずなのに、ある人は「良い」と言い、ある人は「悪い」と言うのです。それについて私は、次のような理由があると感じています。まず、オーディオマニアが聞いている音が「かなり悪い=生音との違いが著しい」ことが大きな問題だと思います。彼らは自分の聞いている音を「いい音(水準の高い音)」だと信じているかも知れませんが、一度でも名器と呼ばれる楽器の音を生で間近で聞いたことがあるなら、その差が非常に大きいことはわかるはずです。生演奏の「いい音」は、本当に美しく、オーディオでは決して出せないのではないか?と感じるくらい感覚に強く訴えてきます。良い楽器の音は、「好き」とか「嫌い」とかそういう個人的な思いこみすら通り越して、誰の心にもダイレクトに響きます。いい音は、心を支配し「他には何も考えられなくなる」ほどの影響力を持っています。
次のようにも考えられます。脳の中で「右脳=アナログ脳」が音を「左脳=デジタル脳」が言語を処理します。世界的には、風の音や動物の鳴き声などは、楽音と同じように右脳に入るのですが、日本人だけがそれらも左脳に入るという特異性を持っています。つまり、本来は右脳で聞くべきオーディオシステムの音も日本人は左脳に入りやすいのです。音楽を聞こうとするときに「技術的な先入観や雑念」が発生すれば、左脳の働きが強くなり、それが音楽を感覚的に捉える大きな妨げになると考えられます。つまり、技術的な背景や価格に対する思いこみが強ければ強いほど、「音の聞こえ方」が雑念に支配され「耳に届く音が良いかどうか判別できなくなる」のです。時折、奥さんや彼女の方が「素直に音を聞けるから信頼できる」と連れの男性が仰いますが「先入観がない方が音をフェアに感じられる」良い事例だと思います。
いい音は測定できず、人間にしかわかりません。機器の判断は聞くしかありません。人間の体は非常にデリケートで間違いを犯しやすいですが、雑念や思いこみを捨て感覚をフェアに保つことが出来れば「いい音」は誰にでも簡単にそして確実に聞き分けることが可能なのです。事前の知識なしに音を聞き分けるのは、少し頼りない感じがするかも知れませんが、実はそれが一番確実で正しいのです。音楽を聴くときには、よけいなこと(価格・テクノロジー・メーカーなどの先入観)を考えずに、感覚に神経を集中してください。
特に注意して欲しいのは、生音と比べて「どれくらい細かく音が聞こえるか?」という試聴はまったく役に立たないということです。大切なのは、再生音が生音を聞く感覚(自然な感じ)に近いかどうかということで、音の純度はさほど重要ではないのです。
音楽を聴いてわかりにくいときには、川の流れる音や波の音などが収録されたソフトを再生すると、音楽に対する思いこみ(個人的な好き嫌い)からも解放されて、違いが非常に明確にわかることがあります。迷われたときには是非一度お試し下さい。次号では、どんな音なら「音楽を自然に感じられるか?」について説明したいと思います。
DELLAから発売されている「自然音」シリーズのCDソフト。単純なマイク構成で収録されており、自然な立体感が再現できる。川の流れる音、並みが消える水泡の弾ける音を再生したとき、自然な音の装置なら「一瞬にして部屋が川辺や海辺に変わってしまった」ようなイメージが再現する。音が良くてもシステムのバランスが悪いと、不自然で人工的な音に聞こえる。装置の人工的な歪み感をチェックするには音楽よりも適している。音質チェックだけではなく、エージングやシステムの音質改善(エンハンス)にも大きな効果がある。安いけれど大きな価値のあるソフト。ご注文ページへ>>