StereoSound(ステレオサウンド) 161号「買わなくていい」

この原稿を書いている時点で秋に発表される新製品は、著名なオーディオショウで一通り見終わった。鳴り物入りで数百万円を越えるようなトップモデルが発表されているのは、すでにご存じだと思う。賛否両論あると思うが、数百万円といえば大金だ。「普通」のサラリーマンの年収に相当するくらいの金額である。作り手はその製品と引き替えにお客様を「一年間飲まず食わずでただ働きさせる」のであるから(事実、数百万円を真面目に稼ごうとすれば数年~5年以上は必死で働いて、せっせと貯金しなければならない)それに見合うだけの「特別なオーラ」を放っている製品を送り出さなければならないのは、作り手としての責任であり、お客様への感謝の証であり、最低限の礼儀であろう。ここ10年~20年の間に高級オーディオは、どんどん悪い方向へのインフレを起こしている。「ハイエンドオーディオの終焉」という衝撃的な題名のコラムをこのステレオサウンド誌に掲載したのは、約2年ほど前に発刊された152号だが、それは高級オーディオ製品の堕落と腐敗、そして何よりもその「ふがいなさ」を訴えたかったからである。外観こそ小綺麗なものが多くなったが、内容(音質)は伴わず、価格はばかみたいに高くなり、まるで一部の「金持ちのオモチャ」へと成り下がってしまったかのようだ。確かに今の日本では、「汗をかかずして大金を手に入れる」ことができる。その方法は、いわゆる「投資」である。「株」に投資して儲けるのは悪くないと朝日新聞にデカデカと証券会社の広告が載るくらいだが、では?なぜそんな広告を載せてまで「株」で儲けるのは悪くないと断らなければならないのだろう?楽をして儲けたい。濡れ手に粟の大金を掴みたい。そういう欲望は否定できない。ではなぜ?汗をかかずに儲けることを人は潔しと思わないのだろうか?「株」で儲けた代表が「村上ファンド」や「ホリエモン」だが、あなたは「彼ら」になりたいとお考えだろうか?
例えば、年収が1億円あったとしても年収500万円の人よりも20倍偉いわけではない。ましてやその人物に20人分の価値があるわけでもない。なのに「金持ち」の横柄さはなんだ!「ベンツ」や「セルシオ」のマナーの悪さはなんだ!もちろんすべての金持ちがおかしいわけではない。しかし、人は弱い。一旦ブレーキが壊れると簡単に暴走する。私は強くないから、濡れ手に粟の大金を掴んだらそれと引き替えに「当たり前の人としての心」を失ってしまうのは怖いと思う。だから「汗のないお金」は、手にするべきではないと自分を戒める。では、今回発売されたような高級オーディオはどうだろう?額に汗したお金で「買うべきもの」だろうか?もちろんその判断は私ではなく、あなた自身がすべきことを百も承知で「そこまで惚れ込める高額商品」を見いだせなかった私は、あえて「買わなくていい」と書いたのだ。
話は変わるが「団塊の世代、退職金で昔夢見たオーディオを!」とか、「5万円のインナーイヤー型ヘッドホン、売れに売れて品切れ中!」とか、そんな記事を目にされたことはないだろうか?前者はともかく、後者は驚いたことに、オーディオになんかまったく興味のないはずのかなり多くの友人から「それって本当?」と何度も聞かれた。私は、こう答えている「よく考えてくれ。せいぜい高くても数万円しかしないメモリーオーディオやi-podに5万円もするヘッドホンを買う人が一体何人いると思う?」。そう答えるとほとんど例外なく、皆安心したような顔をするのが不思議だし、危険だな~と思う。マスメディアの情報を鵜呑みにして、自らの価値観を疑っているからだ。
金の魔力と引き替えに、倫理というブレーキを失ったメディアは何でもできる。金のためにルールをねじ曲げ、ボクシングの判定を覆すくらい造作もない。「売りたい商品」を「売れている商品」と言い換えて「スポンサーに利益を誘導する」のは当然だと思っている。さらに悪いことには、コマーシャルとニュースの区別も付かない「大馬鹿新聞」や「大馬鹿テレビ」の編集部が人の目を引くと見るやいなや「すぐに右に倣え」で同じ情報を「金太郎飴」のごとく増殖させるから、平常な庶民の心まで惑わされるのだ。
金持ちから利益を授受している、一部の高級オーディオ販売業者も始末が悪い。彼らには、今やまともなお客様は「ただの貧乏人」に見えるらしい。でなければ、あんなに「恥知らずなバカ高い製品」を自慢げにデモンストレーションできないだろう。果たして、彼らはそれを自分の家族や友人に胸を張って勧められると感じているのだろうか?彼らの年収と引き替えに?本心からそう思うなら、本人が身銭を切って値引きなしで買って愛する人にプレゼントすればよい。受け取った人は、例外なく幸せになるはずだから。もしすこしでもそう思わないなら、そんな商品は間違っても売ってはならない。音楽ファンが求める本物の音楽に流れているのと同じ「熱い血潮」がそういった商品に流れているとは、到底思えないからだ。
団塊の世代の人達に言う。「騙されてはいけない」。あなた方が手にする「退職金」や「年金」は、決してあなただけの努力で手に入ったものではない。それは、家族や仲間達の暖かいサポートや、時に大切な何かと引き替えにして得られた貴重な代価に違いない。余計なお世話かも知れないが少なくとも「買わなくていい」ものに「そんな貴重な代価」は、一銭たりとも使って欲しくない。価値観をメディアに動かされて「右に倣え」する必要などない。中身のないカタログや、華やかなだけのショウに騙されてはいけない。あなたが欲しいものは、あなたの「耳(自分自身の判断力)」と「目」でしっかりと選んで欲しい。
暗く憤りを感じるニュースばかりではない。安藤美姫がリンクの女王に返り咲いた。あれだけ持ち上げられ、そのあと酷くバッシングされた、まだ20才にも満たない彼女の心情は想像に難くない。悔しくて、それこそ血の涙を流すくらい歯を食いしばって努力されたのだと思う。ハンカチ王子も然り。自分自身の誇りと名誉のために自らを厳しく戒め、律して努力した姿は、美しい。本当に頭の下がる思いである。いかさまチャンピオンとは偉い違いである。彼がしたことは、断じて正当化できないが、情状酌量の余地があるとすれば「一番悪いのは、彼の無知を利用して利益誘導した裏方」だと言うことだ。少なくとも、彼が疑惑であれチャンピオンベルトを手にした時、リングの上で流した涙の色は、安藤美姫やハンカチ王子と同じ色だったはずだけに、金に目がくらんだのが残念だ。
マスメディアやインターネットに無責任な情報が氾濫する今こそ、「情報に踊らされず」、自分自身やその家族、友人、次世代への責任までしっかりと見通した、しっかりとした「選択(判断)」が要求されている。そんな時代、逸品館は「今」を充実させながら、長くみんなが一緒に楽しめる方法を考え専門店として「責任ある選択」を提案したいと願っている。逸品館の提案する「良い音」や「楽しめる映像」から小さくても満足や幸せを感じていただけたなら、我々は本望だ。
誤解を招かないように付け加えるが、私は「高いものがすべて悪い」と言いたいわけではない。「魂の感じられない高額品」は、消えて無くなってかまわないし、買う価値などないと言いたいのだ。そんなひねくれ者でケチな逸品館が選んだ「買っていいもの」、それは逸品館のホームページに掲載している。それ以外にも「買わなくても役に立つ情報」や「買ってから役に立つ情報」など、オーディオに関する四方山話やうんちくが満載されている。つまらないかも知れないけれど、ひょっとすると少しくらいあなたのお役に立てるかも知れないから、もし興味を持たれたなら一度ご高覧いただければと心から思う。難しいアドレスは覚えていただく必要はない。検索エンジンで「逸品館/いっぴんかん」と探していただければ、すぐに情報満載の「大阪らしい派手ページ」にたどり着くだろう。

2006年12月 逸品館代表 清原 裕介
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