前回のメルマガでは「音色/トーン」の重要性を感じることができるソフトをPOPSから取りあげてみました。今回は、より「音色/トーン」が重要視される音楽クラシックのソフトを取りあげてみたいと思いますが、その前に楽器と「音色/トーン」の関係について少し説明したいと思います。
「シンセサイザー」という電気楽器をご存じだと思います。正弦波、ノコギリ波、矩形波などを組み合わせて、楽器の音を電子的に合成して作り出す装置です。シンセサイザーは、1970年代頃から音楽に使われるようになり、どんどん発達を続けて現在に至ります。最初は、単純な波形しか組み合わせることが出来ず、取り出せる音も単純でした。デジタル回路の進歩と共に、組み合わせることができる波形(音波)の数が飛躍的に増え、また生の楽器の音を録音して音源に使う(サンプリング)という方法が取り入れられてからは、生楽器にかなり近い音(音色/トーン)が取り出せるようになりました。このようにシンセサイザーの進歩は、複雑な波形(音波)が出力できるかどうか?と共にあります。複雑な波形こそ「複雑=深い音色/トーン」の正体だからです。
同様の考えを生楽器に当てはめましょう。トライアングルの音色は、非常に単調です。なぜなら、トライアングルの発音部分は、ただの丸棒を曲げただけの単純な形で、音が発生するのも打撃を受けた、一点から始まるため、発生する音波の波形が非常に単純だからです。
しかし、打楽器でも、シンバルになると様子が変わってきます。打撃は多点(点接触から面接触へ)となり、振動する物体の形状も単純な丸棒から、凹凸のあるすり鉢状へと複雑になります。シンバルに与えられた打撃のエネルギーは、シンバルの金属板の中を迷走しながら広がり、あるいはぶつかり合います。その結果として、シンバルの発する音は、トライアングルとは比べものにならない複雑な波形を形成するのです。この二つの楽器の音を聞き比べれば、音波の複雑さが「音色/トーン」を変えていることがわかるはずです。
バイオリンは、さらに複雑です。発音体の弦の構造は、シンバルよりも単純かも知れませんが、弦に振動(エネルギー)を与える弓の構造は、非常に複雑です。バイオリンの弓は、馬のしっぽの毛を束ねて作られ、この毛が引っかかったり、外れたりを繰り返して弦を振動させます。弦と弓が触れるポイントは、複雑に変化する多点接触になっています。その上、弦と弓の密着力(テンション)も連続に可変するため、弓から弦に加わるエネルギーの変化は、打楽器とは比べものにならないほど格段に複雑になっています。これらの「複雑なエネルギーの変化」が「弦=発音体」に加わることでバイオリンは、複雑な音が出せるのです。バイオリンを弓でなく指で弾いて(ピッチカート奏法)音を出すと弓で弾く場合に比べ、遙かに単純な音しか出せないことからも、弓で弦を弾くということがバイオリンの「音色/トーン」を万華鏡のように複雑にすることがわかります。
ここまでの説明でバイオリンが「複雑な音色/トーン」を持つことは、わかりました。しかし、多彩な音色を持つ楽器はバイオリンだけではありません。楽器の王様と呼ばれるピアノの「音色/トーン」も素晴らしいものです。それでも、小さなバイオリンが楽器の中で格段に多彩な「表現力」を持つ一番大きな理由は、「エネルギーが持続して加えられる」というところにその秘密があります。
打楽器でもピアノでも、発音体を振動させるためのエネルギーは一瞬しか加えられません。打撃を加えられた後は、慣性力により音が持続(減衰)するだけです。つまり、次の打撃が加えられるまで新たなエネルギーが加わらないため、音は単調な変化しかしないのです。しかし、バイオリンでは、弓から常に新しいエネルギー(つまり弓は、連続して弦を打撃している)が加わるため、一瞬の間もなくバイオリン「音色/トーン」は変化し続けることができるのです。複雑な変化が連続(持続)する事でバイオリンは、他の楽器よりも格段に多彩な表現力を手に入れられたのです。
このように弦を弓で擦るという方法で音を出す楽器は、バイオリンだけではなく各国で様々な形で発展しています。身近な楽器では、馬頭琴、鼓弓などが該当します。これらの楽器も打楽器や鍵盤楽器、吹奏楽器に比べて「音色/トーン」が複雑で表現力が多彩です。このように楽器が地域を越えて「同じ発展」を遂げたことから、音に対する人間の感覚(捉え方)が万国共通であることが伺えます。
話をソフトに戻し、いくつかのソフトを私なりに評しましょう。バイオリンの話をしたので、まず始めにバイオリンのソフトを選んでみました。まずナタン、ミルシテインの「無伴奏バイオリン、ソナタとパルティータ/輸入盤、2枚組、グラムフォン 423 294-2」と同じ曲を晩年のシゲティーが演奏したソフト(国内版、2枚組、バンガード KICC 8541/2)を比べて下さい。前者は、私の記憶に間違いがなければストラディヴァリウスが演奏に使われ華やかで鮮やかな印象の「音色/トーン」で演奏されています。後者は、ガルネリ、デルジェスが使われ、いぶし銀のような渋い「音色/トーン」で演奏されています。両者を聞き比べることで、それぞれの楽器の「音色/トーン」が演奏の雰囲気に大きな影響を
与えていることがわかります。さらに、ヒラリー、ハーン(輸入盤、SONY SK 62793)を聞けば、この二つのバイオリン以外にも、深い味わいの「音色/トーン」を持つバイオリンがあることに気付けるでしょう。
3者の奏でるバイオリンは、一様に明瞭度が高く、スッキリとした「音色/トーン」を持っていますが、もっとネットリとした柔らかみ?のある音の演奏もあります。クラシックの世界で柔らかい音を出すことで有名な奏者は、デビット、オイストラフです。心地よく、非常に暖かい「音色/トーン」でバイオリンを奏でます。そして、クラシックではありませんがロビー、ラカトッシュの演奏もまた素晴らしいものです。彼の指は、バイオリンの持つ「音色/トーン」のすべてを引き出し、彼の手になるとバイオリンは、まるで魔法が掛けられたかのように軽やかに、そして艶っぽくこれ以上はないと言うほどの饒舌さで歌うのです。
このように、今では皆さんに簡単に楽音の違いをご紹介できるまで、音色を聞き分けられるようになった私ですが、実は恥ずかしいことに、30才を過ぎるまで「クラシックの生演奏」を聞いたことがありませんでした。特に20才代は、オーディオセットでしかクラシックを聴くことがなかったため、jazzやrock、popsに傾倒し、クラシックはすごく特殊で「つまらない音楽」だと思いこんでいました。でも、それを今振り返るとそれは、なんと「自分が聞いているオーディオの音が悪かった」というおどろくべき原因だったのです。オーディオショップを経営していたにもかかわらず、最初の数年の間私が出していた音では、バイオリンの複雑な「音色/トーン」を再現できなかったようです。だから「クラシックが楽しく聞けなかった」のでした。
そんな私の見識を覆したのは、「リパッティー」のピアノです。仕事仕事の連続で疲れ切っていた私の心に彼のピアノは実に優しく、そして生き生きと響きました。元々ピアノが好きでJAZZピアノを良く聞いていたせいかもしれません。とにかく、彼の演奏がピアノのソロだったことは私にとって幸いでした。リパッティーを聞いてクラシックの面白さに目覚めた私は、片っ端からクラシックのソフトを聞き、生演奏を聴き、最終的には指揮者に師事してクラシックを学ぶほど熱を上げたのです。当時は、生演奏、生楽器の音を聞くと共に耳を鍛えるために、様々なトレーニングを行いました。ブラインドで楽器の種類を当てる、ブラインドで楽器のパーツの違い(材質の違いなど)を言い当てる、そんなことができるのだろうか?そんな信じられないほど難しい聞き比べにチャレンジしたことで、それまでとは、比べものにならないくらい細かい音の違いまで明確に聞き分けられるようになったのです。
当時、師事していた指揮者は「楽器の音は、私の頭の中で3次元のグラフになる。事実、楽器の音を聞いて私が書いたグラフは、著名な大学のコンピューターで処理して描いた3次元のグラフと同じだった」という話を聞かせてくれた事があります。私は、当時そのレベルに達していなかったので「そんなこともあるんだ」とあくまでも「話」として聞いていました。しかし、その後、私もオーディオの音を比較、テストしているときに頭の中に、自然に「3次元のグラフ」を描けるようになったのです。なぜなら、音を聞いて頭の中で分析するときに、音を形に変えなければ、ならなかったからです。暗算の速い人が、頭の中にそろばんを描くのと同じです。音を記憶し、比較するためには、頭の中に分析用のグラフのイメージが必要だったのです。
通常、オーディオ機器のテストで用いられるグラフは、音量と時間の関係を示した2次元のグラフです。3次元のグラフでは、これに周波数が加わります。
http://www.bair-shop.com/html/newpage.html?code=5#bunseki
このページは、私とプロミュージシャンが共同で開発した、楽器の音質改善アクセサリー(ラミューズの改良品)の音質テストですが、そこに用いられている3次元のグラフが私が頭の中に描くグラフと非常によく似ています。このグラフは、縦方向が「音量」、横方向が「周波数」、縦方向(奥行き方向)が「時間」を表しますが、このグラフを使うと、現在オーディオの評価がなされている2次元のグラフに比べ、格段に実際に音を聞いている感じに近いイメージが図式化できます。
それが嘘でない証明に、このテストの前後の音を聞いて私が予言したグラフの変化と、実際のグラフの変化は、驚くほど類似していました。別段それに驚く必要はありません。なぜなら、私たちの耳は、音を「音量」、「周波数」、「時間」の3つの要素でしか捉えることができず、私はそれを頭の中でまとめたグラフとパソコンが出力したグラフが似ているのは当然で、逆に考えれば、人間が音を判別するために必要な3要素を備えた、このグラフがまだまだ不完全とはいえ従来使われているオーディオ機器のテストのグラフよりも、格段に人間の「聞いた感じ」に近いことは、当たり前のことなのです。
ただし、ここで注意しなければならないことがあります。それは、一歩進んだとはいえ、このグラフでも、私たちが音を聞いている感覚のごく一部しか表現できていないと言うことです。ではなぜそんな不完全なグラフを使わなければならないのでしょう?もし、文字がなければ?言語がなければ?私たちはどのようにしてコミュニケーションを計るのでしょう?オーディオマニアや楽器奏者が「音質」を論じようとするときにも同じ問題に直面します。言葉では音質を表現できないからです。こんな時、不完全でも「共通認識」を促せる指標があれば、コミュニケーションは、ずっと楽になるはずです。その「共通指標」に使えそうなのが、このグラフなのです。しかし、このグラフを「共通指標」に用いようとする際には、必ず必要な前提条件があります。それは「グラフに対する正確な理解」です。コミュニケーションをとろうとする互いが「グラフについてより深い認識」を持っていればいるほど、グラフを指標につかったコミュニケーションは、スムースかつ正確になります。言い換えれば、このグラフを指標として使うためには、事前に(共通の基礎知識として)このグラフが「音質の一体どの部分を表しているかを十分に知っておく」必要があるということになります。
グラフに対する認識(グラフを読めると言うこと)を持たず、このようなグラフを指標に使うのは、逆に非常に危険です。それは誤解を招き、溝を深めるだけだからです。そして、それこそが現在のオーディオ技術論が直面している問題そのものです。音楽を知り、音の聞き分けの正しいトレーニングを受け、楽器から出る音やそれを聞く人間の感性について、深く知ることなしには、どんな精密なデーターも意味をなしません。「グラフを正確に読む=グラフから現実を認識できる」能力を持たずに、グラフやデーターを振り回してばかりいても、前に進むことはできないのです。そんな認識不足が、「スペックと価格が一致しない=価格とスペックに関連性がない」、「価格と音質が一致しない=作っている側が何を作っているかわからない」というような、混乱をオーディオ製品に生じさせてい
るのです。
また、開発者だけではなく一般のマニアや雑誌がこういったグラフに飛びつくのも非常に危険です。重要な考察を飛び越して、答えに短絡するだけだからです。趣味における討論とは、結果も大事ですが、それよりも「結果に及ぶ過程」により重きを置かねばなりません。なぜなら、討論を通じ、互いの感性を知り合い、自分の視野を広げることが出来れば、それほど素晴らしいことはないからです。
現在、私はこのグラフ化ソフトを用いて、オーディオ製品の評価を従来よりも人間の感覚に近い状態に図式化できないか?実験を行っているところです。上手くいけば、これまでよりも具体的にわかりやすく、音の違いを説明できるかも知れません。