1981年、高校1年の僕は友達の影響で写真部に入った。
カメラの知識はほとんどなく、家にはレンズの周りにセレン露出受光部の付いた自動巻カメラしかなかった。
写真部では1眼レフカメラでないとカメラとして認められない雰囲気があり、街のカメラさんで中古のオリンパスOM-1(30,000円)を親に買ってもらった。ちなみに友達のカメラは最新式の多機能モデル(CANON A-1)でした。
OM-1は1972年の製品で、指針式の露出計を内蔵したマニュアルカメラで当時絞り優先又はシャッター優先オートカメラが主流(プログラムAE等も有った)で古さを感じましたが、視野の広いファインダーとピントが正確に合わせられる魅力は1眼レフならではでした(オートフォーカスの1眼レフはまだ無い頃です)。 ローカル線で通学していたので、いつも車窓から露出やピント合わせをしていました。おかげで、ASA100(ESO100)感度の適正露出は露出計を使わなくても言い当てる位になり、今でもこの光とこの被写体なら「250/1のF8」かな、とだいたいのことなら分かります。
同期の部員は望遠レンズの135mmや200mmを買いそろえて行き、お金のない僕は、クローズアップレンズ(フィルター)くらいしか買えませんでした。フイルム代も馬鹿にならず、写真も1コマ大切に写しました。
そのころに、ソニーからフイルムを使わないカメラとして電子スチルカメラの試作機「マビカ」(この頃はまだデジタルカメラとは言わなかった)が発表され、ビデオデッキ同様に磁気記録の時代を感じました。近い将来フイルム取って変わる事を楽しみに待っていました。
7年後やっと発売されたモデルはポケットカメラ風の製品で画質的にもビデオカメラとあまり変わらない感じで、音声も取れる製品はまさに「ビデオの静止画モデル」でがっかりしました。
更に12年後の2000年頃にデジタルカメラがようやく一般にも普及してきました。そのころ発売されたSONYのDSC-S30です。2003年頃に中古で10,000円で買った物です。画素数は130万と控えめですが、パソコンでの表示やWEBでの掲載には十分で、ビデオカメラのバッテリーを搭載しており、当時の製品としては驚異的なバッテリーの持ちの良さでした。どことなく試作器のマビカに似ていると思いませんか?
それから更に8年後の現在、遂にレンズ交換式デジタル一眼レフカメラの35mmフルサイズセンサー“α900”が発売され、キヤノンやニコンを凌ぐ性能で登場しました。
実に27年待った事になります。スリムな体の高校生が、メタボなおじさんに・・・前にも書いた気が・・。 しかし、僕としてはこんなに大きく立派な多機能モデルではなく、ファインダー視野は大きく35mmフルサイズで昔買ったOM-1くらいの大きさの普及価格(10万円)で製品が出ればベストなのですが・・・、あと何年先かなぁ。 補足・・・レンズ交換式デジタル一眼レフカメラの普及価格品(APSサイズ)は既に各社から出ていますが、ファインダー画像が小さく遠くに映っているのは個人的に頂けません。それならファインダーに液晶(視野を広く作られている)のPANASONICのLUMIX G1が現時点において一番理想ではあります。このお話はいずれまた。
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