StereoSound(ステレオサウンド) 172号「オンリーワン」

長い地球の一生、宇宙の時間から比べると、一年なんて本当に一瞬のことです。その一瞬のさらに小さい季節の出来事に、一喜一憂しているのが私たちです。私がオーディオ販売を生業としたのは、販売する商品の金額にかかわらず、お客様に心からの喜びを感じて頂けることが一番大きな理由です。とはいえ、経済社会の中で自分の主張を貫き通すためには、ある程度取引額を大きくしなければなりません。20年少し前にゼロからスタートした逸品館は、現在西日本で最大級の売上規模にまで成長しました。ハイエンドショウトウキョウ・アンケートの「最も興味深い出展社」で3連覇を達成するなど、注目度も高まっています。それらはすべて、お客様のお蔭があってのことと深く感謝しています。
お客様に恵まれて逸品館は成長しましたが、私が目差すのは「No1」ではありません。逸品館設立の目的を貫くためには、自分が今何をしているのか?お客様のために、今何をすべきなのか?それを明確に感じられる規模を保たねばなりません。自分たちの力以上に組織を肥大させ、サービスの質を低下させたくないのです。
生来が負けず嫌いの私は、人に負けるのが何よりも嫌いです。だからこそ、No1を争う無意味さを知っています。どんなに勝ち続けても上には上がいますし、自分よりも上があると知った瞬間にそれまでの自分の価値や満足感はゼロになってしまうのです。富士山が一番高い山だと思いそれを征服して有頂天になっていたら、それよりもずっと高いエベレストがあると知ったときの登山家の気分です。高い山を征服すれば征服するほど、それより高い山を見つけて登って行かなければならない。決して満足することなどなく、登り続けなければならないのが「No1」を目差す生き方です。元気があれば、その喪失感・絶望感をパワーに転換することもできるでしょうが、人間の寿命は限られていてピークを迎えた後は必ず下降します。今人々は、なぜこれほどまでに強く「No1」を目差すのでしょう?登り切ることができない道を、命尽きるまで登り続けようとするのでしょう?
私自身、そういう生き方をしてしまうタイプなので、それを否定することはできませんが、少し価値観を組み替えれば、違った道が見えてきます。それが「オンリーワンを目差す道」です。残念ながら、No1に最大の価値を求める経済(一部の富裕層)に牛耳られる現実社会の中では、オンリーワンを貫くことは時として脱落を意味します。人に負け犬と呼ばれても、オンリーワンを貫き通す強い心が持てればよいのですが、その強さは私にはありません。No1とオンリーワンのせめぎ合いの中、かろうじてバランスを保っています。しかし、現実と切り離された「趣味の世界」では、オンリーワンの価値観を貫けます。例えば「魚釣り」は私の趣味の一つですが、「釣り上げた魚の数や大きさ」ではなく、「どのようにして釣り上げたか?」あるいは「人と違う方法で釣り上げたか?」により大きな喜びを見いだすことが許されます。
オーディオやシアター製品を選ぶとき「価格」で製品を選んではいらっしゃらないでしょうか?No1に最大の価値を求める世界に染まりすぎると「価格=性能=満足感」だと誤解することも多いのですが、価格と満足度は一致するものではありませんし、本来趣味の世界ではそれが一致してはならないのです。同じ製品を使っても工夫次第で「より良い音」「より良い映像」「より深い感動」を取り出せます。人と比べる必要など何もありません。何が一番売れているかとか?何が一番高額製品だとか?誰が一番安く買ったとか?そういう「背比べ」は、一切無意味です。逆に、そういう「背比べ」を否定することから、より深い趣味の味わい方が広がると思えるのは、私がひねくれているからでしょうか?でも私が代表を務める逸品館は、そういう変わり者的な趣味のあり方を応援します。
「魚釣り」と共に「カート・レース」も私の趣味の一つです。スプリントレースは、単純にNo1を競うシンプルな競技で勝ち負けを競うだけですが、耐久レースは違います。そこには完走という価値観が見い出せます。あなたにとっての人生は「スプリントレース」でしょうか?あるいは「耐久レース」でしょうか?
気候と同じで、人生には晴れた日も雨の日もあります。一番大事なのは、納得した日々の記憶をより多く持つことだと思います。人生の幸せな記憶の多さを競うレースなら、私は喜んでそのレースに参加してみたいと思うのです。

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