オリンピックもいよいよ後半戦を残すのみとなりました。先号でも話題に取り上げた国母選手は、メダルに手の届かない8位に終わりましたが、自分の限界に挑んでゆく戦い振りに心が打たれました。賛否両論あっても、私は彼の「野武士」らしい生き方に共感を覚えます。カメラには無愛想で態度が悪く写っても、彼の瞳には勝負師らしい力強さと鋭さ、そして純粋さを感じました。
彼への批判は止みません。私は「その言葉に真心があるか?」を問いたいと思います。表面的な態度が気に入らないからという浅い理由での批判は、彼の心には届かないでしょう。批判(進言)を受け止める側がどう感じるか?そこが一番大切です。例えきつい言葉であっても、「相手のためを思う気持ちから発せられた言葉」であれば、必ず心に届くと私は信じます。しかし、「単純に不満をぶつけたられただけの言葉」には、反感を覚えることはあっても、心には届かないでしょう。コメンテーターや批判記事を書いた人に「彼を思いやる気持ち」があったのでしょうか?
また、外国から金儲けのためにやってきて日本の国技を貶めた「某横綱」への批判があっという間に収束したのはなぜなのでしょう?お金が儲けられれば、何でも許されるのでしょうか?強いという結果を残せば、人の道を外れても良いのでしょうか?権力や金脈を持っていれば、何でも握りつぶせるのですか?それが日本の心ですか?
彼を批判するニュースに迎合して急遽応援を中止したり、彼を自身のみならず家族までを糾弾しようとする行為に対し、私は同じ人間として強い怒りと失望を感じます。一人の人間として自分の人生を行きたい。魂を持って歩み、自分の言葉で語りたい。たったそれだけの自由すら認めようとせず、個性や異端を抹殺しようとする。恐ろしいことです。
日本はどんどん、楽しくない国になっています。調子に乗って人の足を引っ張る輩が多すぎます。マスコミ諸君に問いたい。あなた方が国母選手に向ける言葉は、今の日本に蔓延っている「いじめ問題」とどう違うのですか?それを分かって記事を書いているのですか?新聞記事でさえ、まるで三流タブロイド並みの内容です。
国母選手が成し遂げた世界で8位!というオリンピックでの結果は、高く評価されるべきだと感じます。目に見えない彼の地道な努力は、もっと賞賛されてしかるべきです。試合後のインタビューで「「いろいろあったっすけど、最後まで応援してくれた人に本当に感謝しているし、自分のスタイルと思いは最後まで曲げなかったんで、それは本当にいいことだと思ってます」」という率直な言葉が心に残りました。まったくもって同感です。
国母選手の問題は、「いじめ」の氷山の一角にしか過ぎません。畢竟の問題は、外見や結果だけを重視して「中身」や「過程」に目を向けない、今の社会や教育現場にあります。最近バラエティー番組で「クイズ」が流行しています。問題の正答率が高いと「英雄視」、低いと「馬鹿呼ばわり」される風潮には我慢なりません。「物知り」。そんなことで人間の価値が決まるのですか?漢検で一級を取ったとしても、小さな電子辞書にさえ叶わないことを分かっていますか?難しい言葉を使えても、漢字を知っていても「伝えたい中身」が空っぽでは意味がありません。ひらがなしか書けなくても「心を打つ文章」は書けるのです。例えそれが、年端も行かない子供の書いた文章であったとしても。
結局「物知り」は、人前で自分を格好良く見せられる手段にしか過ぎません。綺麗な衣装を見に纏い、高価な車に乗っているのと同じです。問われるべきは「中身」であって「外観」ではありません。点数や数字という結果ばかりを取り上げて、それに踊らされる大人や社会を見て、子供達は何を感じるのでしょう?日本はいつからか、こんな「魂を持たない情けない国」になってしまったのでしょう。日本人が得意とするのは「おもてなしの心」つまり、親切な思いやりの気持ちです。「魂」をなくしたら、日本はただのアジアの小国でしかなくなってしまいます。
今期のオリンピックで国母選手と同じように、私が注目しているのがフィギュアスケートの安藤美姫選手です。彼女もまた、国母選手と同じようにマスコミに傷つけられた経験から立ち上がってきたように見えるからです。彼女には結果なんてどうでも良いから、思いのすべてを競技にぶつけ悔いなく闘って欲しいと思います。そして頑張ったご褒美に受け取れる喜びと幸せを、彼女を応援する人達と一緒に存分に味わって欲しいと願います。
話はがらりと変わりますが、3号館は今週の水曜と木曜が連休で私は久しぶりに2日の休暇を満喫しました。水曜はサーキットに出向いて好きなレーシング・カートで走り込み、木曜日は5時前から起きて海上釣り堀で魚釣りを楽しみました。釣果は?またしてもHPに写真が掲載される好釣果を残せました。
前回は、陣取った場所に恵まれたことも味方しましたが、今回は場所が悪い中で工夫に工夫を重ねて釣果を上げられた「実感」があったので喜びもひとしおです。そこで釣り自慢を兼ねて?今回良好な釣果を上げられたポイントを自分なりに分析してみました。その中で一番のポイントは、敏感な仕掛けを使ったことです。通常海上釣り堀での魚釣りでは早合わせは禁物で「浮きが消し込むのを待ってから」合わせをしなさいと教えられます。しかし、それを今回はあえてそうせずにチヌ釣りに使う長さ45cmを超える感度の高い羽根浮きを使い、さらに浮きが「最初に数cm動くだけで合わせを入れる」掟破りの釣法を繰り出しました。
それは、水温が低い(11.8度)ので魚が餌を補食してもほとんど動かず、またそれをすぐに吐き出してしまうため、浮きが消し込むのを待っていては遅いと考えたからです。この作戦は見事に的中し、常識的な方法でまったく魚を釣ることができない人が多い中、私だけが順調にターゲットの「シマアジ」を釣り上げることができました。魚釣りの最中に、まわりから「どうしたら釣れる?」と何度も尋ねられて、内心ちょっと気持ちよかったのも間違いありません。まあ、そんな私の考えが正しかったかどうか?その答えは魚しか知るよしはありませんが、同じシチュエーションは二度となく、無限の楽しみ方が見いだせる魚釣りには、子供の頃からずっと、そしてどっぷりハマっています。
魚釣りの面白いのは「思うように釣れない」からです。工夫する余地があるから考える。工夫が結果に結びつくから面白い。また新しい謎が生まれ、それを考える。この無限連鎖が「趣味」の本質です。
オーディオ(ホームシアターでは音質)にも謎が多く、常に侃々諤々の論議が繰り広げられます。アクセサリーを使えばなぜ音が変わるのか?その答えすらまだ謎に包まれています。でも、それらの謎があるから、工夫する楽しみが生まれます。もし謎がすべて解明されたら、オーディオは、ただの家電品です。
人よりもちょっとでも良い音、綺麗な映像を実現したい。謎を解決する工夫のヒントを掴みたい。そうお考えなら、逸品館のホームページを覗いてください。そこには、今まで考え出してきた工夫の数々を掲載しています。
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