今週はAIRBOW CD2300/Specialの最終チェックを行っていました。このモデルはかなり以前にCECが海外向けに生産した在庫品を国内仕様に変更し再発売したもので、そのため設計と生産はかなり古いのが特徴です。PCや家電の世界では「古い=悪い」と決まっていますが、オーディオとは面白いもので当時のCDプレーヤーの設計とAIRBOWのカスタマイズは非常に相性が良く、この安いCDプレーヤーはカスタマイズで驚くほど音が良くなりました。4万円を少し超えるくらいの価格ですが、音楽を聞く上でこれ以上の音質が必要なのか?そして、最新の高額CDプレーヤーでもCD2300/Specialより「音楽を楽しめない機器は決して少なくない」と真剣に考えさせられるほどの音質に仕上がりました。生産完了製品から作るので、生産数は200台程度になる予定です。
安くてうまい!AIRBOW製品をお探しならこの製品をおみのがしなく。
最近、新技術のPC/ネットワークオーディオばかりに取り組んでいますが、CD2300/Specialみたいなシンプルで安価な製品から、これほど感動的な音が出せるのを経験すると、オーディオの進歩について考えさせられます。前にも書きましたが、レコードからCDへ、そしてPC/ネットワークオーディオと技術が進歩すればするほど、確実に「音楽の心が薄くなっている」のではなかろうかと感じるからです。
技術的な理由は分かりませんが、音楽家の伝えたいこと、魂の叫びは、装置やプロセス(とくにD-D変換の回数)が増えれば増えるほど伝わりにくくなるように思います。CDよりもレコード、LPレコードよりもモノラルレコード、それよりもSPの出す音に強く惹かれることがあるからです。簡単なシステムが出す粗い音の躍動感、エネルギー感に時折ハッとさせられるのはなぜでしょう?簡単で古い装置から目が覚めるような鮮やかな音楽が再現される驚きの前では、高音質やHiFiって何だろう、オーディオは進歩しているのだろうかと真剣に考えさせられます。
インターネットの普及によって情報が氾濫した結果、昔よりも頭で考えることが多くなりました。オーディオではPCオーディオ系のマニアが頭で考える代表でしょう。それ自体は悪いことだと思いませんが、デジタルを過信するあまり、理論で解明できないことを否定し、数字が正しければ音が変わらないとの主張が多々見受けられます。D-D変換による音質劣化はおろか、デジタルケーブルで音が変わることすら否定されることがあります。まるで「天動説」を唱え続ける神学者のように、なぜ目の前の事実を認めないのでしょう?目の前の事実を否定しなければ、何か困ることがあるのでしょうか?理論では決して解明できない謎がオーディオには山積しているのです。理論を信じ現実を否定するのは、天動説信奉者と全く同じではありませんか。実に非科学的です。
デジタルオーディオの最大の誤解は「デジタル領域での正しさが確立されていれば、出る音が変わらない」という部分です。これは、明らかにオーディオ全般に対する総合的な知識の不足から起きる誤解です。
最終的にスピーカーから発生し、耳に届く音は「アナログ」です。録音-再生のプロセスで「アナログ」だった音は「デジタル」に変換され、再び「アナログ」に戻ります。マイクが捉えた信号(音)が正しいと仮定しましょう(実際はそうではありませんが)。マイクから出力される信号は「アナログ」ですが、これをデジタルに変換するときに「切り捨て(量子化誤差、量子化ノイズ)」が行われます。つまり、デジタルデーターは「アナログデーターの近似値」でしかありません。この近似値は、最終的にD/Aコンバーターとアナログ回路で復調され(近似値が与えられ)アナログに戻ります。このときの「近似値」が問題です。再現時に付け加えられる近似値が100%正しければ元のアナログ信号に戻りますが、そんなことはあり得ません。
デジタルデーターを本来のアナログデーターに戻すためには、「失われた近似値の再現」が必要です。しかし、デジタル領域ではどれほど情報を細かく(情報精度を向上)しても、「近似値を完全に埋める」ことはできません。なぜならばデジタルは「切り捨て」が行われているからこそデジタルに変換できるからです。最終的に近似値を埋めるためには、「アナログ回路」が必要です。USBなどのデジタルケーブルを変えても「デジタルデーター」が改変されることはありませんが、ケーブルを伝わるアナログノイズや、複数のデジタル信号がケーブル中や端末で干渉して発生する「ビートノイズ」がアナログ回路に混入し、アナログ領域で「近似値」が変わることは容易に想像できます。デジタル領域だけではなくアナログ領域にも目を向ければ、デジタルケーブルで音が変わる理由はたやすく説明できます。
それよりも難しいのは、アナログケーブルで音が変わる理由です。この現象は、未だに解明できていません。それでも、これほど多種のケーブルが利用されていることが、音が変わるという事実を裏付けます。
もう一つ例を挙げて、デジタル信仰の危うさを説明しましょう。PC/ネットワークオーディオでは「ビットパーフェクト」という言葉がよく使われます。これは記録されたデジタル信号が「完全なままDAコンバータに届かなければならない」と言う考え方です。CDをリッピングして得られたデジタルデーターをDAコンバーターでCDに記録されたデジタルデーターと比較できる装置があります。これらの装置を使えば、PCの「OS」を変えても「プレーヤーソフト」を変えても「ビットパーフェクト」が成立することが分かります。ビットパーフェクトで音が変わらないことを認めるのであれば、なぜOSやプレーヤーソフトの違いで音が変わることを肯定し、容認できるのでしょう?完全に矛盾しています。
OSはもちろん、プレーヤーソフトでも「オーバーサンプリング」が行われない限り、デジタルデーターが改変されることはありません。もし、そんなことが起きるのであれば、記録された「ワードの文章」が使うパソコンによって「違う文章」として表示されるでしょう。あり得ないことです。では、なぜOSやプレーヤーソフトで音が変わるのでしょう?それは、やはり「アナログ領域で変化が起きている」と考えるのが合理的です。OSやソフトが変われば、PCの動作が変わります。メモリーへのアクセス回数、CPUの動作速度やトランジスターのスイッチングの回数・・・。数十億個もあるトランジスターの動きが変われば、発生するノイズも変わるでしょう。そのノイズがアナログ回路で復元される「近似値」に影響を与えれば、音は当然変わります。私たちの聴覚は、それほど繊細な音の変化を聞き取れるのです。それは完全に生命の神秘の領域で、測定器の限界を超えています。
本来音楽はデジタルと対極にあります。数字に置き換えられないから、言葉にできないから「音」すなわちアナログで気持ちを伝えるのが音楽です。難しい文章にできないからと言って、科学で解明できないからと言って、「そこには何もない」と言うのは哀しすぎます。
だからといって現代科学を否定し、オカルトを肯定するのも間違っています。科学は常に謎と共にあり、謎を解明することで進歩を続けます。しかし、どれほど科学が進歩しても解明できない謎は残されるでしょう。人間の心が解明できないように。
デジタルも進歩すれば、「アナログ的情緒」を完全に理論化できる時がやってくるのでしょうか?いずれはそうなるかも知れません。また、そうであると信じて既存の概念を打ち破り、新たな領域へと科学を進歩させようという努力を続けることが、科学技術の発展に繋がるのだと確信します。科学もオーディオも謎が多いから、興味深いのです。
CDプレーヤも30年の道のりを経て、最近やっとレコードに匹敵するほどの感動をデジタルから取り出せるようになりました。しかし、10年以上前にすでにアナログよりも安く良い音が実現したCDプレーヤー存在します。それがCECベースのカスタマイズモデルCH-5000R/Superです。CD2300/Specialは、10年間のデジタル技術とAIRBOWカスタマイズノウハウのすべてを注ぎ込んで、それに負けないような素晴らしい製品に仕上げました。
たゆまぬオーディオの進歩と技術者の努力によって、感動的な音楽をコンサートホールの外でも聞ける。時と場合を選ばずに音楽が聴ける。つまらない蘊蓄よりも、それがなにより素晴らしいことではありませんか!