テンちゃんのDAVID BOWIE 74年”Diamond Dogs Tour”バナシpt.2 – 女子部ニュース(143)

テンちゃんのDAVID BOWIE 74年”Diamond Dogs Tour”バナシ part 2

皆様こんにちは。前回はデヴィッド・ボウイの74年のアルバム「Diamond Dogs」「Young Americans」に伴う”Diamond Dogs Tour”前半戦のお話でした。今回はその後、ガラリと雰囲気が変わった後半戦、いわゆる ”Philly Dogs Tour“のお話です。

では74年後半の活動を順に追っていきましょう。
●   9月2日~9月16日 “Pre Philly Dogs Tour” (Philly Dogs Tour)

最初のメンバーからバンマスのマイケル・ケイメンをクビにし、後任にはマイク・ガースンを抜擢。ギタリストにはアール・スリックに加え、もう一人「Young Americans」でアルバムに参加したボウイ先生ご執心のカルロス・アルマーが加わりました。この人選はもう完全にジョージ・オーウェルの「1984」に触発されて作った「Diamond Dogs」の世界を視覚化する「シアトリカルなステージ」に飽きて、心は「Young Americans」すなわちソウルモードになっていたことが理解できます。リズムもソウル路線を強化してベースとドラムをダグ・ロウチ、グレッグ・エリコと「それ系」にチェンジ。バック・コーラスも2人だったのがシグマ・サウンド風に厚くして6人(その中にルーサー・ヴァンドロスも居ました!!) にパワーアップし、総勢14人の大所帯となりました。ミュージカル仕立てのショウにも故障続きのセットにも嫌気がさしていたボウイ先生ですが、英国BBCのTVドキュメンタリー「Craced Actor」撮影の為に初日の9月2日公演だけは渋々例の豪華セットでライブを行いました。

●   10月5日~12月4日 “Soul Tour”(Philly Dog Tour)

2週間のインターバルを取ってまたツアー再開。リズム隊をまたもや入れ替え。ドラムとベースをカルロス・アロマー推薦のエミール・セザンと“The Low & Heroes Tour”でイチびってチューバッカのお面を被っていたデニス・デイヴィスに変えています。ついでにバック・コーラスももう一人追加。このあたりまでくるとステージももう完全にブルーアイド・ソウル路線満開です。オフィシャル・ライブを出すならこの時期の方が良かったのでは?とは皆が思うことでしょう。と言うことでひとつのツアーでありながらライブの内容や時期、それに伴うツアーネーミングやバンドメンバーがややこしい“Diamond Dogs Tour”を2回に分けて簡単に解説してみました。

不詳、私くしテンちゃんはボウイが無ければ夜も日も明けぬ・・くらいの傾倒を致しておりますが、何年かごとに出てくるこのテの「アメリカで売れたい」時の作品はちょっと距離を置いて分析的な気持ちで聴いてしまいます。特にブルーアイドソウルとなると正統派「歌唱力で勝負!!」の人ではないだけに声量的にもいささかツライ。この人は料理に例えるならば技巧の限りを尽くしたフランス料理、対してソウル、ファンクは下町のモツ鍋屋。ああ行ったド庶民系の汗臭いパワーがなければどうにもなりません。ボウイの魅力とは全く対極、異質な音楽なので、個人的には「Young Americans」はどうにもボウイの魅力が感じづらいです。思うに、この時期にこの手の音楽に走ったのはジギーという虚構にモミくちゃにされた反動というのか、一切虚構が入り込む余地がない肉体派の音楽を心が欲したのでは?と解釈して、この手のサウンドに取り組んだ経緯があってこそ次作「Station To Staion」というリズムが黒でメロディがヨーロッパ的、すなわち以後のボウイ先生の必殺技が確立できたんだなあ・・と(勝手に)思っています。

カテゴリー: 本日のブログ パーマリンク