自分の内面に多分、劇的モードチェンジがあったのであろう99年発表の秀作「hours」。
ワールドツアーが組まれると言う噂もありましたが結局それは無く、それでも新作のプロモーションは必要と言うことでアメリカ、ヨーロッパをのんびり巡回しながら各国のテレビ、ラジオにガンガン出演、そして単発的に10数回のコンサートを行ったのが99年の活動でした。
「学園祭のような醜態」などと散々に言われながらも本人はリハビリ活動として楽しんでいたバンド、ティン・マシーンを経て80年代の低迷期を脱し、93年の「Black Tie White Noise」でソロ復活、これもさすがにボウイ先生が作るだけあって洗練されたサウンドの良いアルバムでしたが、根本的には80年代の作品と地続きで、アメリカでのセールスを意識したコマーシャルなものでした。
続く96年「Outside」でやっとアーティストとして正気に帰り(笑)、張り切り過ぎると難解な作品を作ってしまうこの人特有のクセでやたらと暗い曲ばかりを聴かせてくれ(笑)、97年の「Earthling」で本来の創作力が完全に復活。
こうして80年代中盤から約15年近くの色々な苦難を乗り越えた末に(笑)到達した境地が「ありのままの自分を表現する」で、「hours」には素のボウイが持つセンシティブな優しさが色濃く感じられます。
そして翌2000年は半年ほど一休みした後、6月に30年ぶりに英国グランストンベリー・フェスに出演が決定。
そのウォーミングアップも兼ねてフェスの前後にボウイネット会員限定の3回のライブを敢行。セットリストは「hours」のプロモーションツアー時のものに各年代のヒット曲を加えたものでした。
2001年は9.11追悼コンサートに出たくらいでライブ活動は全く行わず、「hours」で得た自然体というモチベーションを最高の強度に昇化させた傑作アルバム「heathen」のレコーディングを7月頃からしていたようです。これがざっと99年「hours」から2001年の「Heathen」制作までの動きですが、この時期はボウイ個人にとっても精神的に大きな転換期であったことが理解されます。
当時、彼は50歳を過ぎていましたが、私はこの年齢で精神的に大きく何事かを吸収し、自身に取り込めるボウイの柔軟さに敬意を感じます。
トリッキーなボウイを期待する向きにはただの地味な音にしか聴こえないでしょうが、永年ボウイとともに生きて来たファンには人生や仕事に対する彼の真摯な態度が理解でき、尊敬しますね。デヴィッド・ボウイと言えば「派手な変なヤツ」と思っている方、一度この辺りのアルバムを聴いてみませんか。