逸品館メルマガ227「コミュニケーションを考える」

ギリシャを発端とするユーロ危機は未だに収束していません。私は現在の世界状況を「民主主義」の危機と捉えています。皮肉にもユーロ危機と同じギリシャから始まった「民主主義」というシステムは、ギリシャの危機と同じく「コミュニティーサイズの増大」により、現代社会では崩壊が始まっていると思えるからです。

増大民主主義の基本システムが発明された1000年以上前のコミュニティーサイズは、現在よりも遙かに小さく精々数千人から最大でも一万人規模であったと考えられます。しかし、現在は交通と通信の発達によりそのサイズは飛躍的に大きくなり、コミュニティーサイズは知事選の場合1000万人を超えます。今月に実施される大阪市長・知事W選とは1000万人を超えるコミュニティーの長を「市府民一人一人」が投票で決めるわけです。

これほど大きいコミュニティーの長を決められる情報と判断力を選挙権を持つ全員が有しているとは思えません。正常な判断力と情報を持たない人が、政権に参加する恐ろしさ。それを肯定するのが現在の「民主主義」というシステムです。

今の民主主義を交通に例えて説明するなら、車が少ないときはすべてのドライバーが「無免許」だとしても、大きな問題は起きませんでした。しかし、路上に人と車が溢れるようになった現代社会に無免許ドライバーが溢れたら、事故が多発し交通は麻痺します。今の民主主義は、こんな状態なのではないでしょうか?しかるべき判断力と正しい情報なしに、重要な決断を行うことはできません。私を含め民衆は驚くほど無知か、もしくは必要な情報を与えられていないため、正しい首長を決めることができません。すべての民衆に無条件に選挙権を与えるのは、公平で合理的なように見えて実は無免許の自動車を道路に溢れさせているようなものではないのでしょうか。

科学の進歩の名の下に肯定される技術革新。中でもインターネットの誕生を始めとするデジタル技術の恐ろしいほど早い革新に、私たちの社会はまったく追いついていません。これからは技術革新の波に乗れ、瞬時に決断でき、さらに判断の誤りを柔軟かつ迅速に修正できる機能(主権)が今必要だと私は思います。もちろん、そのシステムは民意を反映できるものでなければなりません。そのような政府を日本が持てるなら、未来は私たち民衆にとって素晴らしいものになると思えるのです。

話を変えましょう。以前からお話ししてきたように、私の主な趣味はカートレースと魚釣りです。しかし、じっくり考えてみるとこの二つの趣味には明らかな違いが見いだせます。それは、趣味を通じたコミュニティーの存在が必要かどうか?ということです。カートレースは、相手がいなければ成立しません。練習で一人黙々とサーキットを走っていても全く楽しくありません。私にとってカートレースとは、それを通じて生まれる競争やコミュニケーションが必須で一人きりでは趣味として成立しないのです。それに対し魚釣りは、一人きりでも楽しいのです。仲間とわいわい魚釣りをするのも悪くないですが、一人きりの環境で魚釣りに没頭する方が、私は好きです。自分自身で目標を定め、それを超える楽しさ。山登りはしませんが、もしかすると同じなのかも知れません。

オーディオは?どうでしょう。シアターは?どうでしょう。私にとってのオーディオは、それを通じて生まれる人の輪が楽しみです。シアターは?映画やドラマは絶対に一人で見ます。そういう意味で私にとってオーディオはレースに近く、シアターは魚釣りに近いのかも知れません。

このように同じ趣味を愛好するとしてもその目的によって、趣味そのものへの取り組み方が全く変わってきます。私はオーディオの世界において、過去これが一番とか、これは絶対に駄目、とか随分と乱暴な発言もしてきました。それは「絶対的な一番」をオーディオに求めたからです。しかし、「一番」をレースに求めるようになった今、音楽とオーディオの関わりの本質に気付いて安心した今は、考えが変わりました。

レースと違ってオーディオやシアターには「明確な一番」がありません。好き嫌いはあっても「最高(一番)」はないからです。最適はあっても最高がないからこそ、オーディオやシアターは参加者すべてが最大の満足感を得られる可能性を秘めています。オーディオやシアターにスタートはありますが、ゴールもなければ順位もありません。マイペースでその道すがらを永遠に楽しめるのが、オーディオとシアターの醍醐味です。

最近は私は思います。100のオーディオ、100のシアターがあれば、そこには100の幸せがあるはずだと。幸せになれない趣味なんて誰もやらないからです。昔はその幸せを10/100しか理解できず、残りの90は応援できなかったかも知れません。しかし、今なら10よりももっと多くの幸せを応援できると思います。そして、これからも応援できる幸せの数を増やし続けて、それをできる限り100に近づけたいと思います。肉体は時と共に衰えます。それと戦うのではなく、それに負けず心を豊かにすることで、可能になると思うのです。

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