逸品館メルマガ239「『記録』と『作品』の違い 」

世界最大のフィルムメーカー「Kodak(コダック)」が倒産するという歴史が動いた月になりました。写真を趣味としていた私は、特別な寂しさと時代が変わったという思いが交錯します。

高校生の頃に友人宅の納屋を暗室(といっても暗幕を張って光が入らないようにしただけのお粗末なものです)に改造して、白黒写真の現像と焼き付けを週に何度もやっていました。その頃使っていたフィルムがKodakのモノクロ高感度フィルム”Try-X”と超微粒子フィルム”Plus-X”です。当時フィルムの感度をASA(アーサー)と呼んでいました(現在のISOに相当)が、Try-Xは、通常の100より高感度のASAが400のモデルです。Try-Xは感度が上がる替わりに、粒子が少し粗くコントラストが強なります。この高感度フィルムを規定の感度よりさらに、高感度にして撮影することを「増感処理」と呼びます。増感処理では現像時に現像液を高温にし、フィルムと現像液の化学反応を促進することで通常は再現しない「暗い場面」を浮かび上がらせることができます。増感処理をした写真は、新聞のモノクロ写真のように粒子が粗く、さらにコントラストの強い仕上がりになります。

増感を使うのはスポーツの撮影でシャッター速度を上げたい場合や、ストロボが使えない室内の撮影です。このようなシーンでは増感によって粒子が荒れ明暗がハッキリすることで、通常の写真では表現できない不思議な「躍動感」が宿ります。一番記憶に残っている「増感写真」は、暗いライブハウスの後方から望遠レンズで撮影を強いられたことでストロボが使えず、十分な明るさが得られないため、”Try-X”を4倍以上増感しASA1600-3200で撮影した時のものです。

この時は増感による粒子の荒れとハイコントラストに加え、現像の最終工程でフィルムを乾燥させるために表面の水分をワイパーでぬぐった事により、フィルムの粒子が剥がれ白い縦線が入ったことで、年代物の写真のような仕上がりになってしまったのです。時々TVの回想シーンなどで画面をモノクロにして、わざとのイズを入れることがありますが、ちょうどそれと同じように出来上がった写真には想像していなかった強い躍動感が宿り、それがライブというシーンにピタリとはまりました。撮影することによって、現実以上に生々しい記録が残る。これは、撮影~現像のプロセスに手が入れやすいモノクロ写真ならではの醍醐味です。

暗室でドキドキ・ワクワクしながら白黒写真を焼き付ける時の「白い紙の中に画像が浮かんでくる様子」は、鮮明に記憶しています。撮影によって切り取られた時間に、焼き付けによって永遠の生命が宿る。その瞬間を見ている気分だったのかも知れません。その後モノクロよりもカラーが主流になって現像が難しくなり、また現像・焼き付け装置の価格がモノクロとは比較にならない程高価になったために、写真の現像焼き付けはやらなくなりました。現像焼き付けをしなくなったことで、写真撮影への興味も消えてしまいました。なぜならば見えるものをそのまま写すのは、ただの「記録」で「作品」にはできないからです。

モノクロ写真の素晴らしさは「見る人の想像力をかき立てる」所にあります。色がないから、人は写真に「好きな色」を当てはめられます。増感処理をすれば、さらに「見えない部分」が増えることで、想像力はさらにかき立てられます。そして、生を超える迫力や感動が生まれます。カラーの作品は数回見ると飽きてしまいますが、モノクロ映画は何度見ても飽きが来にくいのは「想像できる部分が多い」からに違いありません。

モノクロがカラー写真に変わってから、世界で最も早くデジカメを発明していたにもかかわらず、フィルムにこだわり続けたために世界最大のフィルムメーカーKodakは倒産した今年、皮肉にも米ハリウッドのコダック・シアターで行われたアカデミー賞の会場で、「マーティン・コセッシ監督の最新3D映像を駆使した、ヒューゴの不思議な発明(3月1日封切り)」ではなく、1920年代のハリウッドを舞台にした「ミシェル・アザナヴィシウス監督のモノクロ無声映画、アーティスト(4月27日封切り)」がアカデミー賞に輝いたことも興味深いことです。フィルムの良さにこだわってKodakが倒産した年に、ハリウッドは「技術」よりも「芸術性」をより高く評価したのです(この選出には疑問の声も多いようです)。

写真や映画は風景やシーンを切り取り、抽象化することで付加価値(芸術性)と新たな生命を与えます。録音は演奏の一部を切り取り(すべての音を録音することはできません)抽象化することで、同じように新たな生命が与えられます。そこに共通するのは技術(画質や音質)よりも、芸術性(想像力させる力)がより重んじられることです。

記録と再生に重要なのは精密な技術ではありません。何を表現したいかという強い思いが、どれくらい濃密に反映できるかどうかと言うことです。受賞こそ逃しましたがマーティン・スコセッシ監督の作品も私は大好きなので、この二作品は是非映画館で見ようと思います。

話を戻しますが、高校時代、私と友人は決して裕福だったわけではありません。アルバイトをして貯めたお金で安くて良い製品を選び抜いて購入し、作れるものは自分たちで作ることによって工夫を凝らしてお金を掛けずに趣味を楽しみました。今の仕事に役立っている道具に頼らず楽しみを生み出せる私の力は、この時に培われたのかも知れません。

高いもの優れたものが、常に素晴らしい結果を生み出すわけではないと私は今までの経験から感じています。そしてそれは趣味の世界だけではなく、人生も同じだと考えています。学歴や企業規模がすなわち、人生に素晴らしい実りをもたらすとは限りません。人生を楽しむことを諦めない強い気持ちが、素晴らしい実りをもたらすのだと思います。

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