逸品館メルマガ289「架空より現実」

ステレオサウンド187号が発売され、久しぶりに掲載された菅野沖彦氏のコラムには娘婿が50才を過ぎてからオーディオに目覚めた・・・と書かれていました。その中で菅野氏は、オーディオは若い頃から続けている人が多く、50才を過ぎてからオーディオの虜になる人物は珍しいと書かれています。その通りだと思います。同時に菅野さんは最近の若年者層オーディオ離れを心配なさっているのかなと思いました。

前号のメルマガに書きましたが、ITの発達で「紙の上でのコミニュケーション」が異常に発達しました。異常というのは、ITが発達するよりも先に多感な思春期や青年期を過ごした私には、紙の上だけのコミュニケーションで「完結」するという感覚がよく分からないからです。言葉を交わしたいと思う私は、相手が「人」であれば、必ず直接会って話をしたいと思います。それがもし、「商品」であれば、できるだけ実際に手に取ってみたいと思います。

 

確かに忙しくなかなか時間が取れないこともあるのですが、時間があるにもかかわらず「紙の上(通信だけ)」で完結するほうが簡単だという風潮は日増しに大きくなるようです。経済や政治、そういう大切な社会活動まで「紙の上」で完結するのはおかしいと思います。株価にしても、通貨変動にしても、人間が関わらない「パソコンソフト」がプログラムで時期を判断して大量の売り買いを繰り返すため、実態のない相場になっています。機械(手段)機会を利用するのは良いですが、機械に振り回されるのは御免被りたいと思います。

そういう意味では、使い手の意志が通じる「オーディオ・ビジュアル製品(車もそうですね)」など、高度にコンピューター化されていない「道具」が面白いように思います。私の大好きな「魚釣り(釣り道具)」などは、まさにその代表。使い手次第で発揮できる力が全然変わってしまうのですから。そして、そこが面白いと思うのです。

でも、その面白さが逆に煩わしくて「オーディオ離れ」が起きているのであれば問題は大きいと思います。想像と現実の違いを見いだし、考えることでその隙間を埋める。それを面度と考えるなら、人としての文化までおかしくなってしまいます。
人は考える葦。現実をよりよくするために、人は考えます。私達の幸せは、現実の何気ない触れあいから生まれます。どんなに良くできていても、人は架空現実で本当の幸せを得られない生き物だと思うのです。なぜなら、そこには一番大切であるべき「現実」がないのですから。

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