逸品館メルマガ344「2015年2月20日号」

逸品館をスタートして25年以上が過ぎ、私の人生も締めくくりに向かいつつあります。30代40代はまだそれほど「終わり」を意識することはありませんでしたが、50代も半ばを過ぎると「何を残すか」を考えるようになります。

人生の大半を「オーディオ音質向上」に取り組み、またすでに他界された先人達の思いを引き継ぐ者として、日本に花開き、根付いた世界でも有数の「オーディオ文化(再生音楽文化)」を正しい形で残したいと強く考えます。

「正しい形」とわざわざ書くのは、日本の大企業が私欲のままに、オーディオ文化をねじ曲げ、間違ったコマーシャルを続けて、間違いを力ずくで正当化しているからです。彼らが言う「良い音」とは、音楽をより良く、より深く楽しむための音ではなく「自社製品の間違いを正当化し、販売台数を伸ばす」ためだけの広告です。現在の音楽市場がこれほど荒れ果ててしまったのをすべて「企業の責任」とは言えませんが、その責任の一端はまちがいなく彼らにあります。けれど同時に彼らは、オーディオを大衆の物とした立役者でもあるので、問題はそう単純ではないのですが。

企業が犯した「音楽冒涜」に近い間違いの発端は「金に魂を売った」ことです。今や売れている音楽、お金になる音楽は「風俗まがい」です。J-POPもK-POPも海外のPOPSもそうです。風俗という言葉がキツすぎるなら「あまりにも世俗的」で短絡的です。もちろん、そういう世俗的な快楽の表現も音楽の一つですから、それらをすべて批判したり否定するつもりはありません。けれど、子供の頃から訓練を積みあげ、なおかつ人としての厳しい鍛錬を超えて完成する「芸術音楽」の素晴らしさが、それらに比べて評価されていないのも事実です。

確かに高度な芸術は、それなりの教養を持っていなければ「真の素晴らしさ」を理解するのは難しいかも知れません。けれど、それが「素晴らしいもの」であるか「そうでないか」は、赤ん坊にだってわかります。そのためには「正しい音」でオーディオが鳴る必要があります。

私が言う「正しい音」とは、音楽表現に必要な情報が「正確なスケール(狂いのない形)で再現される音」です。こういう音のオーディオ機器を生み出すために必要なのは「測定器」ではありません。測定ではわからない、机の上では決してわからない「音を正しく聞き分ける能力」です。オーディオ機器はいわば楽器。楽器の調律と同じようにオーディオ機器の狂いを排除しなければ、良い音楽がよい者として伝わりません。イヤホンやヘッドホンを否定するわけではありませんが、それだけに頼っていては「決して伝わらないもの」があるのです。

私は残りの時間で、可能な限り間違いを間違いだと知らしめ、素晴らしい音楽家が遺してくれた「名演奏の録音」という「大切な遺産」を一人でも多くの方に、正しい形で知って頂きたいと強く願っています。そのためにこれからもより手に入りやすく「音楽の本当の良さ」を伝えられる機器を販売し、生産して行こうと考えています。

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