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逸品館メルマガ241「ポジティブ・シンキング」

毎日毎日狭い範囲の中で同じ繰り返しを続けていると、知らない間に大切なものを見つけられなくなってしまいます。寒さを感じると外に出るのがおっくうになりますが、趣味であったり旅行であったり、自分の世界を外側からみられる時間を持つことは大切だと思います。 ここ数年は、業務拡張に伴い近隣のアジア諸国を訪れる機会が増えています。一歩外に出て日本を見ると、今まで気付かなかったことが見えてきます。日本が安全で清潔なこと。人々が比較的穏やかなこと。しかし、元気と活気の溢れる諸外国と比べ日本には元気が感じられません。今の日本は戦後復興という成長期~安定期を終え、まるで老年期にさしかかっているようにすら感じます。 近隣のアジア各国がそうであるように、高度成長期には「成長という思い」が日本中に溢れていました。敗戦の反動もあって、その思いはとてつもなく強いものだったはずです。当時の日本は「国家復興」あるいは「毎日の暮らしをよりよくしたい」、「収入をもっと増やしたい」という思いが全国民に共通していたからこそ、世界が奇蹟と呼ぶ急速な経済の発展をなし得られたのでしょう。 その成功を目の当たりにして、モチベーションを高めている近隣国家に比べて今の日本にその勢いや力は感じられません。ある程度の富や安定した生活に慣れて怠惰な時間を送っているようにさえ見えます。もし国民代表の思いが残りの寿命を平凡に全うしたい、あるいは自分の財産を子孫に残したい、そんな我欲を満たす自己中心的なものであれば、日本の将来を憂わねばならないでしょう。 話を見えやすくするため「国家」をチームに例えて考えましょう。例えば「高校野球」。全国の頂点を目指す原動力は、選手一人一人の「頂点を目指したいという思い」が何より大切です。スポーツは、勝とうという気持ちが強ければ強いほどモチベーションが高まります。モチベーションを高めるためには、まず「勝とう=前に進もう」という気持ちが大切です。 次にそれを支えるための「支援」が欠かせません。試合でプレーするのは「選ばれた9人」だけですが、彼らを支えるためにより多くの人たちの努力が必要になります。選ばれた選手は、自分たちを支えてくれる人たちへの感謝を欠かしてはなりません。彼らからの感謝と彼らの汗が、支援者の「納得」を充実させるからです。後方支援がしっかりしているほど、チームの力は強くなります。 「日本」というチームを振り返れば、呆れるほど多くの問題や間違いが蔓延っていることに気付きます。最悪なのは「手段を選ばずに金を儲けた人が勝ち」という、拝金主義的な幼稚で安易な考えが強くなってしまったことです。「勝つ=お金を儲ける」ということの重要性は、25年間逸品館を続けている私は人一倍よくわかっています。収入がなければ、たちどころに生活に困るからです。 しかし、余裕ができたから、試合に勝ったからと言って選手が努力を怠ればどういう結果になるでしょう。選手が汗をかかなければ、後方支援者の「納得」が得られません。後方支援がなければ、勝ち続ける(継続する)ことはできないのです。「勝てば官軍」という考え方は間違っています。みんなが「納得できる勝ち方」で勝ってこそ、次が見えてくるのです。重要なのは「思い」の強さと「納得」の充実です。プロ野球界での巨人のルール破りを朝日新聞がすっぱ抜きましたが、同時にこのようなやり方では、ファンの納得が得られないと主張しています。このスクープはただ単に、読売新聞と朝日新聞の確執が表面化しただけかも知れませんが、行き過ぎた競争社会の自浄作用が働き始めたと信じたいと思います。 弱くなっている日本人の絆を再び強めるためには、「報道」や「教育」が特に重要です。橋下市長が「国歌斉唱時に起立しない教員を処罰する」方針を持っていますが、国家再建を考えるのであれば、当然だと思います。確かに日本では国家を唱えることが「偶像崇拝」として利用された不幸な過去があり、素直に国歌斉唱を受け入れられないという理由はあるでしょう。しかし、時々に国を省みるという「思い」を共有する場は必要です。オリンピックでも勝利をたたえ国歌を斉唱します。 自分の国と文化に誇りを感じ、国を愛するという思いがなければ国家は成立しません。それを愛国心というと少しきな臭ですし、国歌斉唱制勝の是非はともかくとしても、教育の現場で「国への思い」を伝えることは、何よりも重要だと思います。自分たちの今が「支援者(それを支えるために命を捧げた人たち)の国への強い思い(すなわち愛国心)」の上に成り立っているという感謝を忘れた国に未来はありません。 足下を振り返れば、東北大震災の復興はまったく思うように進んでいません。まず、瓦礫の受け入れ先が決まらなければ再建ができない状況なのに、瓦礫の受け入れを拒否する地域が多すぎるように思います。お金を拠出するだけではなく、汗をかかなければ「思い」は共有できません。思いが共有できなければ、絆は生まれません。同じ痛みを分かつべき民として、私は忸怩たる思いです。極東のこんな小さな島国で個人個人の権利だけを主張しても、どれだけの利益がもたらされるというのでしょうか。本当に心が痛みます。 我欲の強さだけではなく、今の日本に一番足りないのが「明るい未来を見る思い」だと私は感じます。「一番不幸なことは、不幸な未来を想像することだ」と何処かで聞きました。誰の言葉か忘れてしまいネットで調べたのですが、上手く見つかりませんでした。しかし、まったくその通りだと思います。不幸なニュース、不安なニュースはこりごりです。心配しても、やってくるものはやって来ます。 メルマガにはなんだか難しいことを書きたがる私ですが、もちろん毎日難しいことばかり考えているわけではありません。以前のメルマガにも書かせて頂いたように、毎日を楽しく生きてゆこうと考え実践しています。最近社員や友人を魚釣りに「はめて」、自分の腕自慢をして悦に入っています。病気に感染した社員が「魚釣りのブログ」を作ってくれました。 このブログのように自称「漁師」を標榜する私ですが、実際魚釣り歴は45年近くに及び、仕事やオーディオに費やしているよりも遙かに長い期間を「魚釣り」に生きています。魚が欲しければお金を払って買う方が早いですし、「一網打尽」の言葉通り網で取れば短時間でたくさんの魚を収穫できます。しかし、それでは面白くありませんし、何よりも満足や納得が得られません。釣果はバランス良く、ゲームは華麗に。その結果が釣果となって実を結びました。 まあ、ただの自慢ですが・・・。 私は先を考えて立ち止まり、何もやらない人生よりも、やってから反省し、前に進む人生を選びたいと思います。どうしようもないことに心を悩ませるよりも、ポジティブ・シンキング。趣味の世界でも、魚釣りの時間でもそれは、とても大切なことだと思います。暖かな春は、すぐそこまでやってきています ... 続きを読む

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逸品館メルマガ240「偏らないバランスが重要 」

1年前に中古で購入したBMW... 続きを読む

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逸品館メルマガ239「『記録』と『作品』の違い 」

世界最大のフィルムメーカー「Kodak(コダック)」が倒産するという歴史が動いた月になりました。写真を趣味としていた私は、特別な寂しさと時代が変わったという思いが交錯します。 高校生の頃に友人宅の納屋を暗室(といっても暗幕を張って光が入らないようにしただけのお粗末なものです)に改造して、白黒写真の現像と焼き付けを週に何度もやっていました。その頃使っていたフィルムがKodakのモノクロ高感度フィルム”Try-X”と超微粒子フィルム”Plus-X”です。当時フィルムの感度をASA(アーサー)と呼んでいました(現在のISOに相当)が、Try-Xは、通常の100より高感度のASAが400のモデルです。Try-Xは感度が上がる替わりに、粒子が少し粗くコントラストが強なります。この高感度フィルムを規定の感度よりさらに、高感度にして撮影することを「増感処理」と呼びます。増感処理では現像時に現像液を高温にし、フィルムと現像液の化学反応を促進することで通常は再現しない「暗い場面」を浮かび上がらせることができます。増感処理をした写真は、新聞のモノクロ写真のように粒子が粗く、さらにコントラストの強い仕上がりになります。 増感を使うのはスポーツの撮影でシャッター速度を上げたい場合や、ストロボが使えない室内の撮影です。このようなシーンでは増感によって粒子が荒れ明暗がハッキリすることで、通常の写真では表現できない不思議な「躍動感」が宿ります。一番記憶に残っている「増感写真」は、暗いライブハウスの後方から望遠レンズで撮影を強いられたことでストロボが使えず、十分な明るさが得られないため、”Try-X”を4倍以上増感しASA1600-3200で撮影した時のものです。 この時は増感による粒子の荒れとハイコントラストに加え、現像の最終工程でフィルムを乾燥させるために表面の水分をワイパーでぬぐった事により、フィルムの粒子が剥がれ白い縦線が入ったことで、年代物の写真のような仕上がりになってしまったのです。時々TVの回想シーンなどで画面をモノクロにして、わざとのイズを入れることがありますが、ちょうどそれと同じように出来上がった写真には想像していなかった強い躍動感が宿り、それがライブというシーンにピタリとはまりました。撮影することによって、現実以上に生々しい記録が残る。これは、撮影~現像のプロセスに手が入れやすいモノクロ写真ならではの醍醐味です。 暗室でドキドキ・ワクワクしながら白黒写真を焼き付ける時の「白い紙の中に画像が浮かんでくる様子」は、鮮明に記憶しています。撮影によって切り取られた時間に、焼き付けによって永遠の生命が宿る。その瞬間を見ている気分だったのかも知れません。その後モノクロよりもカラーが主流になって現像が難しくなり、また現像・焼き付け装置の価格がモノクロとは比較にならない程高価になったために、写真の現像焼き付けはやらなくなりました。現像焼き付けをしなくなったことで、写真撮影への興味も消えてしまいました。なぜならば見えるものをそのまま写すのは、ただの「記録」で「作品」にはできないからです。 モノクロ写真の素晴らしさは「見る人の想像力をかき立てる」所にあります。色がないから、人は写真に「好きな色」を当てはめられます。増感処理をすれば、さらに「見えない部分」が増えることで、想像力はさらにかき立てられます。そして、生を超える迫力や感動が生まれます。カラーの作品は数回見ると飽きてしまいますが、モノクロ映画は何度見ても飽きが来にくいのは「想像できる部分が多い」からに違いありません。 モノクロがカラー写真に変わってから、世界で最も早くデジカメを発明していたにもかかわらず、フィルムにこだわり続けたために世界最大のフィルムメーカーKodakは倒産した今年、皮肉にも米ハリウッドのコダック・シアターで行われたアカデミー賞の会場で、「マーティン・コセッシ監督の最新3D映像を駆使した、ヒューゴの不思議な発明(3月1日封切り)」ではなく、1920年代のハリウッドを舞台にした「ミシェル・アザナヴィシウス監督のモノクロ無声映画、アーティスト(4月27日封切り)」がアカデミー賞に輝いたことも興味深いことです。フィルムの良さにこだわってKodakが倒産した年に、ハリウッドは「技術」よりも「芸術性」をより高く評価したのです(この選出には疑問の声も多いようです)。 写真や映画は風景やシーンを切り取り、抽象化することで付加価値(芸術性)と新たな生命を与えます。録音は演奏の一部を切り取り(すべての音を録音することはできません)抽象化することで、同じように新たな生命が与えられます。そこに共通するのは技術(画質や音質)よりも、芸術性(想像力させる力)がより重んじられることです。 記録と再生に重要なのは精密な技術ではありません。何を表現したいかという強い思いが、どれくらい濃密に反映できるかどうかと言うことです。受賞こそ逃しましたがマーティン・スコセッシ監督の作品も私は大好きなので、この二作品は是非映画館で見ようと思います。 話を戻しますが、高校時代、私と友人は決して裕福だったわけではありません。アルバイトをして貯めたお金で安くて良い製品を選び抜いて購入し、作れるものは自分たちで作ることによって工夫を凝らしてお金を掛けずに趣味を楽しみました。今の仕事に役立っている道具に頼らず楽しみを生み出せる私の力は、この時に培われたのかも知れません。 高いもの優れたものが、常に素晴らしい結果を生み出すわけではないと私は今までの経験から感じています。そしてそれは趣味の世界だけではなく、人生も同じだと考えています。学歴や企業規模がすなわち、人生に素晴らしい実りをもたらすとは限りません。人生を楽しむことを諦めない強い気持ちが、素晴らしい実りをもたらすのだと思います。 ... 続きを読む

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逸品館メルマガ238「音楽文化の再生 」

ちょっと雨が降りましたが今日の大阪はとても暖かく、一気に本格的な春が訪れたように感じました。まさか、このまま暖かくなるとは思いませんが、3月になれば例年にもましたパワーで一気に春がやってきそうです。 ちょうど北国の春はこんな感じで、春と初夏が一緒にやってきたように命が一度に芽吹くと聞きます。私はまだ経験したことがないのですが、命溢れる大地に立つことを想像するだけでワクワクしてしまいます。よいい季節は、もう目の前です。 3月3日は、TAD... 続きを読む

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逸品館メルマガ237「パワハラと優秀録音盤 」

今年の冬は長くそして寒いですが、意外なことに原因は地球温暖化にあるそうです。温暖化なのに寒いのは、ちょっと納得しづらいかも知れません。しかし、温暖化の影響で極地が暖かくなったため、極地にあるべき寒気が従来よりも南下した(赤道よりに)結果、ヨーロッパやアメリカ、日本など人間が居住している地域の下がっているそうなのです。 人間が地球の環境を変えているのは、温暖化だけではありません。最近は、脱フロンという「名目(金儲け)」が消えてしまったため、オゾン層の破壊について言及されなくなりましたが、確実にオゾン層の破壊は進んでいます。その証拠に大好きな魚釣りに行けば、真冬のこの時期にも関わらず、すごく日焼けします。オゾン層の破壊が原因で、紫外線が強くなっているからです。 このように行き過ぎた人間の経済活動によって地球は傷つき、環境は大きく変わりつつあります。地球の一大事なのに、なぜかこの大事なニュースはほとんど流されません。それはメディアもボランティアではありませんから、広告主(お金持ちや広告をしてくれる企業、ニュースソースを提供してくれる国家や団体)にとって不都合なニュースは、掲載したがらないからです。 新聞社やTV局のような大きなメディアですら信用できないことが多いのですから、AV雑誌のような小さく、しかも業界との癒着が強いメディアのニュースは一層信頼できません。何度かこのメルマガでも取り上げましたが、逸品館がお金を払って買っている「広告欄に掲載するコラム」ですら雑誌編集部によって検閲が行われ、誌面の内容に沿わない文章が見つかれば書き換えを強要されています。 今回はシアター関連の雑誌広告の記事が検閲に引っかかり、書き換えを強要されました。もちろん私も筆が走りすぎると余計なことまで書きすぎることがあるので、こちらにも責任はあります。幸いにもたいていの場合文章の一部(彼らのクライアントや評論家などに対する明確な批判の非掲載は絶対です)を変えるだけで検閲は通過しますし、書き直すことで文意をさらに明確できるので書き換えには全く問題はありません(というよりも不要に敵を作らないために書き換えの強要はありがたい)。しかし、そんなことを平気で要求するメディアには、プライドと責任感は全く感じられません。 話を少し戻します。経済活動が環境を破壊していると書きましたが、それはマクロ的な視点です。ミクロの視点から見れば、は経済活動が私達の社会を破壊していることに気付きます。少し前にAKBのメンバーが男女交際禁止を理由に解雇されました。最近では、黒木メイサが妊娠を理由に契約違反の賠償金を請求されるかも知れないとか。確かに事前にそのような契約が交わされているから、文句は言えないのでしょう。しかし、男女交際や結婚、出産のような人間の基本的な権利まで契約で縛って良いのでしょうか?企業では辞令書1枚で転勤が決められ、逆らうと出世できないとか。なんだか、パワハラのようで釈然としません。 しかし、私達はそれを批判できません。なぜならば、湯水のようにエネルギーを使うことを止めないからです。また、無理のある契約を押しつけたり、それを受け入れています。力やお金の前に、私達民衆は無力です。だから、正しいリーダーの力が必要なのです。しかし、多くの人間は力を持つとより悪い方向に暴走するようです。いつになれば人間はもう少し成長するのでしょうか。 2月16日の朝日新聞朝刊の15ページ「オピニオン」欄に、破綻したアメリカの75新聞社を手中に収め、従来の新聞社のあり方を変えて黒字化に成功した「ジョン・ペイトン」氏の記事が掲載されていました。内容を要約すると「古い価値観の破壊」から「新しい価値観が生まれる」という(要約しすぎかも)ことです。このオピニオンの予言に従うなら、朝日新聞は滅びる新聞社に入ります。自社を否定するような記事を掲載したのは、なかなか勇気がいることだったと思います。掲載に尽力した人たちの努力と勇気をたたえたいと思いました。 社会の成長が行き詰まる時には常に、変化を恐れる古い勢力とそれを打ち倒す新しい勢力のせめぎ合いが巻き起こります。それは、歴史が証明しています。今の日本はまさしくそう言う時期を迎えています。日本を明るい未来に導けるリーダーは登場するでしょうか?大阪から日本は変わるのでしょうか?間違いないのは、着実に変化の足音が近づきつつあることです。そして、その変化から逃れるすべはありません。 きな臭い話題はこれくらいにして、話を音楽に変えます。先週、3号館でのご試聴にお客様が持ち込まれたソフトがとても気に入って、すかさず購入してみました。おそらく最小限の機材とマイク構成と収録されたであろう、シンプルさが特徴のライブアルバムです。機材のノイズがかすかに入っています(サーという小さな音)が、そういったものを排除するためのノイズカットや、楽器の音圧を上げるための「圧縮(コンプレッサーの使用)」がほとんど行われていない、非常にピュアな録音のソフトです。 「編集による悪影響」を排除すると、音楽がこれほどまでに生き生きとする見本のようなソフトです。また、音を聞けばレコーディングが「DSD方式」で行われたことが専門家ならすぐにわかるほど、音色が柔らかくダイナミックレンジが広く、アナログに近い(ある意味ではアナログを超える)音質に仕上げられています。メディアはCD/SACD/SACD-MULTIのハイブリッドディスクで、サラウンド・レイヤーはまだ聞いていませんが、もし疑似ではなく本当にサラウンドで収録されていたら、その臨場感は生演奏を超える可能性すら考えられるほど気に入っています。 楽曲は女性ジャズボーカルで、シチュエーションは新宿の老舗ジャズライブハウス「DUG」の閉店に伴う「最後のライブコンサート」です。ソフトからは、この歴史あるライブハウスを愛するミュージシャンと、お客様の愛情がひしひしと伝わってきます。録音だけではなく、演奏にも深みが感じられるアルバムに仕上がっています。 こんなピュアな演奏、こんなピュアなレコーディングが現在行われ、それが発売されていることを知ってとても嬉しくなりました。本物はいつの時代にも本物です。演奏家と聴衆の魂の共鳴がストレートに心に響く、4曲目のウッドベース、5曲目のギターは最高でした。「ラスト・ライブ・アット・ダグ、グレース・マーヤ」というこのアルバムは、逸品館のアマゾンストアからお求め頂けます。加工(嘘)のない「音」で生きたJAZZを聞いてみませんか?普通のソフトとは躍動感が「まったく!」違います。 ... 続きを読む

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