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逸品館メルマガ151「幸せの一歩手前が一番幸せ」

前回のメルマガの内容について、システムの障害と並行して「お詫びのメール」を発信しました。私としては、お客様とより密度の高いコミュニケーションを計りたい気持ちから、メルマガに自分の意見を掲載して発信してきましたが、時としてそれがお客様の「心地よく買い物をしたい」という気持ちと矛盾することがあります。 そこで言い過ぎたことを素直に謝罪したと思い「お詫びのメール」をお送りした所、私が予期しなかったほど多くの励ましのメールを頂戴し驚くと共に、心から感謝の気持ちをお伝えしたいと思います。ありがとうございました。 さて、オリンピックもいよいよ明日閉会式を迎えます。4年の1度の大会で頂点に立ちたい!その気持ちはすべての選手に共通する思いです。しかし、残酷なことに金メダルは一人にしか与えられません。 勝負事、競い合う先には、必ず「勝ち負け」という結果があります。それは純然たる事実として変えることはできませんが、勝ち負けがハッキリするからまた目標に向かって頑張ることができます。勝ち負けは時の運次第、努力することが何より大切だと思います。 話は変わります。すでに休刊して久しいですが、やなせたかし氏がライフワークとしていた「詩とメルヘン」という雑誌をほんの少しの期間読んでいたことがあります。その中に「幸せの一歩手前が一番幸せ」という作品が掲載されたことを記憶しています。肝心の内容はもうほとんど忘れてしまいましたが、そのタイトルのインパクトは大きく、今も強く心に焼き付いています。 今社会は「結果主義」に陥って、過程からもたらされる喜びを忘れています。オリンピック報道も、多くは金メダルを取れたかどうか?に終始しています。表彰台の真ん中に立つのは、長い選手人生の間のつかの間の幸せでしかありません。それよりも幸せなのは、トレーニング期間で培われる「人間関係」だと思うのです。友情であったり、愛情であったり、今回私宛に届けて頂いた応援メールであったり、人を幸せにできるのは、結局「人」しかいない。幸せは、人と人を結ぶコミュニケーションから生み出される。そういうごく当たり前のことを不景気に流されて、忘れかかっていた自分の弱さに気づきました。 目に見えるものだけを信奉しても人は幸せになれない。支え合う力、思いやる心。そういう「見よとしなければ見えないものの大切さ」を最近少し忘れていたようです。音楽を聞くこと。知人と話すこと。家族と話すこと。そういう当たり前の日常生活の中にある幸せに目を向け、メルマガの題材として毎日を暖かく、そして豊かに過ごして頂くためのお手伝いをこれからも続けて行こうと思います。 ... 続きを読む

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逸品館メルマガ150「国母選手問題に思うこと」

オリンピックもいよいよ後半戦を残すのみとなりました。先号でも話題に取り上げた国母選手は、メダルに手の届かない8位に終わりましたが、自分の限界に挑んでゆく戦い振りに心が打たれました。賛否両論あっても、私は彼の「野武士」らしい生き方に共感を覚えます。カメラには無愛想で態度が悪く写っても、彼の瞳には勝負師らしい力強さと鋭さ、そして純粋さを感じました。 彼への批判は止みません。私は「その言葉に真心があるか?」を問いたいと思います。表面的な態度が気に入らないからという浅い理由での批判は、彼の心には届かないでしょう。批判(進言)を受け止める側がどう感じるか?そこが一番大切です。例えきつい言葉であっても、「相手のためを思う気持ちから発せられた言葉」であれば、必ず心に届くと私は信じます。しかし、「単純に不満をぶつけたられただけの言葉」には、反感を覚えることはあっても、心には届かないでしょう。コメンテーターや批判記事を書いた人に「彼を思いやる気持ち」があったのでしょうか? また、外国から金儲けのためにやってきて日本の国技を貶めた「某横綱」への批判があっという間に収束したのはなぜなのでしょう?お金が儲けられれば、何でも許されるのでしょうか?強いという結果を残せば、人の道を外れても良いのでしょうか?権力や金脈を持っていれば、何でも握りつぶせるのですか?それが日本の心ですか? 彼を批判するニュースに迎合して急遽応援を中止したり、彼を自身のみならず家族までを糾弾しようとする行為に対し、私は同じ人間として強い怒りと失望を感じます。一人の人間として自分の人生を行きたい。魂を持って歩み、自分の言葉で語りたい。たったそれだけの自由すら認めようとせず、個性や異端を抹殺しようとする。恐ろしいことです。 日本はどんどん、楽しくない国になっています。調子に乗って人の足を引っ張る輩が多すぎます。マスコミ諸君に問いたい。あなた方が国母選手に向ける言葉は、今の日本に蔓延っている「いじめ問題」とどう違うのですか?それを分かって記事を書いているのですか?新聞記事でさえ、まるで三流タブロイド並みの内容です。 国母選手が成し遂げた世界で8位!というオリンピックでの結果は、高く評価されるべきだと感じます。目に見えない彼の地道な努力は、もっと賞賛されてしかるべきです。試合後のインタビューで「「いろいろあったっすけど、最後まで応援してくれた人に本当に感謝しているし、自分のスタイルと思いは最後まで曲げなかったんで、それは本当にいいことだと思ってます」」という率直な言葉が心に残りました。まったくもって同感です。 国母選手の問題は、「いじめ」の氷山の一角にしか過ぎません。畢竟の問題は、外見や結果だけを重視して「中身」や「過程」に目を向けない、今の社会や教育現場にあります。最近バラエティー番組で「クイズ」が流行しています。問題の正答率が高いと「英雄視」、低いと「馬鹿呼ばわり」される風潮には我慢なりません。「物知り」。そんなことで人間の価値が決まるのですか?漢検で一級を取ったとしても、小さな電子辞書にさえ叶わないことを分かっていますか?難しい言葉を使えても、漢字を知っていても「伝えたい中身」が空っぽでは意味がありません。ひらがなしか書けなくても「心を打つ文章」は書けるのです。例えそれが、年端も行かない子供の書いた文章であったとしても。 結局「物知り」は、人前で自分を格好良く見せられる手段にしか過ぎません。綺麗な衣装を見に纏い、高価な車に乗っているのと同じです。問われるべきは「中身」であって「外観」ではありません。点数や数字という結果ばかりを取り上げて、それに踊らされる大人や社会を見て、子供達は何を感じるのでしょう?日本はいつからか、こんな「魂を持たない情けない国」になってしまったのでしょう。日本人が得意とするのは「おもてなしの心」つまり、親切な思いやりの気持ちです。「魂」をなくしたら、日本はただのアジアの小国でしかなくなってしまいます。 今期のオリンピックで国母選手と同じように、私が注目しているのがフィギュアスケートの安藤美姫選手です。彼女もまた、国母選手と同じようにマスコミに傷つけられた経験から立ち上がってきたように見えるからです。彼女には結果なんてどうでも良いから、思いのすべてを競技にぶつけ悔いなく闘って欲しいと思います。そして頑張ったご褒美に受け取れる喜びと幸せを、彼女を応援する人達と一緒に存分に味わって欲しいと願います。 話はがらりと変わりますが、3号館は今週の水曜と木曜が連休で私は久しぶりに2日の休暇を満喫しました。水曜はサーキットに出向いて好きなレーシング・カートで走り込み、木曜日は5時前から起きて海上釣り堀で魚釣りを楽しみました。釣果は?またしてもHPに写真が掲載される好釣果を残せました。 前回は、陣取った場所に恵まれたことも味方しましたが、今回は場所が悪い中で工夫に工夫を重ねて釣果を上げられた「実感」があったので喜びもひとしおです。そこで釣り自慢を兼ねて?今回良好な釣果を上げられたポイントを自分なりに分析してみました。その中で一番のポイントは、敏感な仕掛けを使ったことです。通常海上釣り堀での魚釣りでは早合わせは禁物で「浮きが消し込むのを待ってから」合わせをしなさいと教えられます。しかし、それを今回はあえてそうせずにチヌ釣りに使う長さ45cmを超える感度の高い羽根浮きを使い、さらに浮きが「最初に数cm動くだけで合わせを入れる」掟破りの釣法を繰り出しました。 それは、水温が低い(11.8度)ので魚が餌を補食してもほとんど動かず、またそれをすぐに吐き出してしまうため、浮きが消し込むのを待っていては遅いと考えたからです。この作戦は見事に的中し、常識的な方法でまったく魚を釣ることができない人が多い中、私だけが順調にターゲットの「シマアジ」を釣り上げることができました。魚釣りの最中に、まわりから「どうしたら釣れる?」と何度も尋ねられて、内心ちょっと気持ちよかったのも間違いありません。まあ、そんな私の考えが正しかったかどうか?その答えは魚しか知るよしはありませんが、同じシチュエーションは二度となく、無限の楽しみ方が見いだせる魚釣りには、子供の頃からずっと、そしてどっぷりハマっています。 魚釣りの面白いのは「思うように釣れない」からです。工夫する余地があるから考える。工夫が結果に結びつくから面白い。また新しい謎が生まれ、それを考える。この無限連鎖が「趣味」の本質です。 オーディオ(ホームシアターでは音質)にも謎が多く、常に侃々諤々の論議が繰り広げられます。アクセサリーを使えばなぜ音が変わるのか?その答えすらまだ謎に包まれています。でも、それらの謎があるから、工夫する楽しみが生まれます。もし謎がすべて解明されたら、オーディオは、ただの家電品です。 人よりもちょっとでも良い音、綺麗な映像を実現したい。謎を解決する工夫のヒントを掴みたい。そうお考えなら、逸品館のホームページを覗いてください。そこには、今まで考え出してきた工夫の数々を掲載しています。 ... 続きを読む

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逸品館メルマガ149「オリンピックとバレンタイン」

先週からバンクーバー冬季オリンピックが始まりました。このオリンピックでは「国母選手」の腰パン問題が気になっています。個人的には、だらしない恰好を嫌うので当初は「おしかりを受けて当然」だと思ったのですが、その後のメディアでの捉え方を見ると、行き過ぎた「弱い者虐め」にしか思えず彼に心から同情しています。 責任を問うなら「国母選手」だけではなく、コーチや団体における指導者のほうが罪が重いはずです。年長者なら、事前にバッシングを受けないように配慮するのが当然の義務だからです。それなのに国母選手を守るどころか、自分の保身しか考えていないように見えるのはなぜでしょう? 国母選手の人格をまったく無視して「カメラが切り取った状況」だけから彼を判断し、軽率な「バッシング」を増長させているのはマスコミだけではありません。そういう心ない行為のすべてに、抑えがたいほどの怒りを感じます。 マスコミの「近眼記事」とそれに乗っかる「愉快犯」の増長は、最近始まったものではありませんが、世の中のストレスに比例してどんどん酷くなっているように思います。一人のオリンピック代表選手へのバッシングならまだしも、国会の討論でも「政党」や「政治家個人」へのバッシングを繰り返すばかりで、「どうすれば良くなるか?」を誰も真剣に考えようとしないのはどうしたことでしょう?こんな政治家をのさばらせたままにして置くから、国が衰退するのです。 本当にバッシングされるべきは、先を考えられない、実行力を伴わない政党や政治家だけではなく、国民に「そんな馬鹿げた報道ばかり」を繰り返す、マスコミだと思います。いつから日本はこんな「浅はかな報道」が蔓延る国になったのでしょう?「声の大きいクレーマーの意見だけ」がクローズアップされ、それが... 続きを読む

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逸品館メルマガ148「海外オーディオショップ視察」

1月末から昨日までHPを更新できずにいましたが、それは2泊3日で中国(深セン市)と香港のオーディオショップ視察の旅に出ていたからです。飛行時間僅か3時間程度の身近なアジア旅行でしたが、深セン市に日本発展のスタート、香港には日本の行く末を感じるなど有意義な旅となりました。 では、オーディオショップのご報告から始めましょう。深セン・香港のオーディオショップの品揃えは日本とすこし違います。日本で著名なブランドの製品がなかったり、逆に日本ではまだまだ認知されていないブランドが主流であったり、明らかに日本とは品揃えが違います。もちろん中国という特殊な条件は考慮しなければなりませんが、日本で高級ブランドとして認知されている製品が、実は「日本だけ」であることが少なくないのです。 少し例を挙げましょう。WEST MINISTERを頂点としてTURNBERRY、STARLINGに続くTANNOYのプレステッジ・シリーズは、日本で代表的なTANNOY製品です。しかし、これは日本だけのことで欧米ではプレステッジ・シリーズはほとんど見かけません。中国・香港でも同じです。では、なぜプレステッジが日本で評判になったのでしょう?それは、「五味康祐さん」が理由であると私は考えています。 五味康祐さんは日本を代表する作家(剣豪作家)であると共に、熱烈なオーディオファンとして知られています。彼はTANNOY AUTOGRAPHを愛用し、彼のオーディオ評論には、度々彼の所有するAUTOGRAPHとMCINTOSH MC275が登場します。その「刷り込み」で日本のオーディオファン、特にクラシックファンはTANNOY プレステッジ・シリーズを「神格化」してしまったのです。 このように著名人と同じ製品を使いたいと考えるのは、世界共通の傾向だと思いますが、中でもアジア人はそれを「神格化」する傾向が強いように思います。この手法はオーディオに限ったことではなく、化粧品のコマーシャルに「有名女優」を使うのも同じことです。この「巧妙なすり替え」が「広告」の正体ですから、ある程度までは許されます。しかし、度を超すのは、どうかと思います。 特にオーディオは数値化できないのでごまかしやすく、「限度を超える」広告の改編が日常的に行われています。それを婉曲に批判した「逸品館が雑誌に掲載する広告コラムの内容」についてまで、彼らは「検閲」を行い修正を求めます。形式上は、出版社からの「お願い」ですが、事実上は修正しなければその広告を掲載しないという脅しです。彼らが「神格視」するメーカーや評論家への批判は、例えそれが匿名に近くても「絶対に許されない」のが、日本のオーディオ雑誌の実体なのです。 広告費を払って購入したスペースへの広告が検閲され、修正を要求される。「やりかた」はいくらでもありますから、その程度は別にかまいませんが、そんなことを平気でできるのが日本のオーディオ雑誌です。当然彼らが掲載している評論や記事の真偽は?推して知るべしです。オーディオマニアの「従順さ」を逆手にとって「雑誌」と「評論家」が、結託し自分たちの「利益」に繋がるブランドを強く薦め売上からバックマージンを得る。こんなことが日常的に行われている「日本市場の歪さ」は、海外に出てみると大変よくわかるのです。 まあ、そんなことはともかくとして、最近お腹の底から笑えるような出来事が少ない私の気持ちを深セン市は完全にリセットし、自然体で生きる力を思い出させてくれました。それだけでも、日本を離れた甲斐があったと思います。 視察旅行の様子まとめたHPは次のアドレスからご覧頂けます。 https://www.ippinkan.com/travel_20100201.htm 今回の視察旅行では撮影に... 続きを読む

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逸品館メルマガ147「福祉国家スエーデン」

今週は、fostexから発売された低価格のUSB対応DACとusb入力を備えているMusical Fidelity A1 Integrated、それとセットになるCDプレーヤーA1 CD... 続きを読む

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