「五味康祐」という「オーディオ読本の著者」をご存じだろうか? 作家であり、人相学者であり、日本一と言われたオーディオフリークだった。彼がオーディオについて書き記した著書を読むと、たぶん「趣味としてのオーディオ」がすべて分かる。それはすでに30年以上前に書かれたものだが、彼の言う「オーディオとのつきあい方」は現代にも全く問題なく通用するのみならず、今のオーディオ業界が失いつつある「一番大切なもの」を痛烈に思い起こさせてくれる。
過去にオーディオファンは「対価を支払って価値を手に入れる」潔さを知り、メーカは「ファンの期待を裏切らない機器」の製作に全力を尽くした。顧客とメーカーは、互いに「切磋琢磨」し、ついにはオーディオを「至高」という名がふさわしいほど素晴らしい趣味に育て上げた。名機と呼ばれるオーディオ製品は、ある意味で書画骨董のような「美術品」に通じる美しいオーラを身に纏い「芸術品」と同等の価値が認められるほどの高みに上り詰めた。
今のオーディオ機器に「オーラ」はあるか?求めるものに向かってまっすぐに進む心意気。負けを負けと認め、再び立ち上がる潔さ。簡単に手に入らない、簡単に真似ることの出来ない「ある種の困難さ」が「存在の価値観」を高める。そして、決して「独善的」ではなく広いファン層から「尊敬」を得られてこそ、「存在」は「オーラ」が発せられるほどの「高み」に上り詰めることが出来たのだろう。
本来、趣味とは「衣食住満ち足りた」後の余暇として生まれたとてつもなく「贅沢」な存在だ。逆に言えば「その贅沢」に対して「対価を支払う」ことが出来る人にこそ「趣味」は許される。ユーザーは「真似たり」・「盗んだり」してはならないし、メーカーは「騙したり」・「偽物を流通させたり」してもならない。ファン(ユーザー)とメーカーが、互いを「信頼」し「尊敬」しあう。たったそれだけのことから、たったそれだけのことで「趣味としてのオーディオ」は、再び輝きを取り戻す。「信頼」と「尊敬」この言葉の重さを理解できる人だけに、「趣味としてのオーディオ」は、その「狭き門」を開いている。
2004年4月 清原 裕介