30年前と言えば、1976年。それは、LPレコードの普及と共にオーディオ文化がちょうど花開く頃。まさに時代の風に乗った「オーディオアクセサリー誌」は、天に昇る勢いで発展し今に至る。 逸品館が「オーディオアクセサリー誌」に初めて広告を出したのは、17年ほど前になるだろうか?切っ掛けは、当時編集部に在籍した「和田氏」が店舗を訪れ、雑誌で紹介しましょうか?と声を掛けてくれたことだが、今にして思えば、これは「上手い広告営業」だったのだ。当時まだ10坪ほどしかなかった小さな店の30才前のオーナーにとっては断る理由など何もなく、天から降ってわいたような「いい話」に店舗紹介記事を即座に依頼、そのお礼?に広告を掲載してからの長い付き合いだ。
最初は右も左もわからなかった私にとって「オーディオアクセサリー誌から得られる情報」は、とても貴重で広告も重要な販売戦略の一つとなった。編集部に在籍した「佐々木女史」には、ずいぶんとお世話になった。「メーカーは本当に良いものを作ろうとする努力が足りない」とか「モデルチェンジの度に製品が高くなりすぎる」、「オーディオショウの音が悪い」など、私のつまらない愚痴と悪口を延々と聴き、相づちを打ち、力づけてくれた。彼女はきっとオーディオ業界を我が子のように愛し、慈しみ、熱い情熱を捧げていたのだと思う。AETと逸品館の出会いも彼女の存在があったからこそであるし、60才を前にして急逝した彼女を思うと、今でも「本当に惜しい人を亡くした」と痛惜の念に堪えない。この場を借りて冥福をお祈りする。
話が少し湿っぽくなってしまったが、アナログからデジタルへ、時代はますます加速しながらドライな方向に流れている。「暖かさ」・「情緒」、オーディオはハートを忘れてしまっているようにすら感じることがある。「価格」だけで商品を選び、高いものを持っていることを自慢げに吹聴する輩もいれば、高くなければ音が良くないと聞いた風なことを声高に主張する者もいる。「趣味」としてのオーディオの理想はそんなものではないはずだ。十人十色と言うが、一人一人それぞれの流儀でオーディオを完成させることに、自分自身で工夫を凝らすことにこそオーディオの「お金では買えない」醍醐味がある。
音楽の探究も忘れてはならない。特定のソフトだけを聴き続けるのも悪くはないかも知れないが、それでは世界が広がらない。読書が人を育てるように、心を素直に開き幅広く音楽を聴けば、きっとあなたの心に素晴らしい変化が訪れる。生き延びるためではなく、生きるために何が大切か音楽は気づかせてくれるだろう。オーディオを通じて自分の感性を磨き、心に自信を持つ事が出来れば、そんな素晴らしいことはない。もちろん、そんなに大げさでなくても疲れた心を癒してくれる音楽が聴ければ、その価値もお金には換えがたい。 先人達の努力が実を結びオーディオはある。血の滲むような音楽家の努力があって、私たちは良い音楽に触れることが出来る。その「文化」を「責任」を持って、私たちは継承していかなければならない。違法に音楽をコピーしたり、配信したり、そういう「人としての道義に外れたこと」がまかり通るようになってはいけない。「智」には「礼」を持って答えるべきだ。
これからの三十年、世の中はますます変わるだろう。インターネットは、悪貨が良貨を駆逐するように世の中を悪くした。時代の寵児ともてはやされる「IT関連有名人」のなんと軽いことか。歴史の中に連綿と続いてきた「文化」を継承こそすれ、我々が破壊してはならない。本当に豊かであるべきは「心」であって「財」ではない。それを胸に留めて、私はこの仕事を続けようと思う。自分自身への挑戦として。
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