逸品館メルマガ097「ディスコ時代のレコードを聞いてみた」

今日の大阪は、一日雨降りでした。雨が降って空気が湿るとオーディオの音質も締めっぽくなってしまいます。雨降りは、気分が優れないことが多いのに、湿っぽい音で音楽を聞いても・・・、気持ちは晴れません。
そんなうっそうとした気持ちをはらそうと、朝からアップテンポな曲をCDを聞いていたのですが、ちっとも気分が良くなりません。そこで昔聞いた「ディスコのレコード(80年代前半)」を取り出して聞いてみることにしました。きっと当時の記憶そのままに、素晴らしく弾けた音がするだろうと思って!
しかし、音が出てがっかりしました。普段聞いているCDよりもレコードの音が、悪かったからです。こんなはずでは!と思いましたがよく考えると、ここ数年はレコードをほとんど聞かずCDばかり聞いていて、どうやらその間に「CDの音がどんどん良くなっている」ことを甘く見ていたようです。
誤解を避けるために付け加えますが、今日聞いたアナログシステムはプレーヤーもカートリッジも昇圧トランスもフォノイコライザーもすべてお気に入りの製品で、総額100万円は下らない高級グレードのものです。それと比べても30万前後のCDプレーヤーの音が良いなんて!驚きました。どうやら記憶の中でレコードの音は、かなり美化されていたようです。
しかし「いい音」が聞けないと気分が晴れないので、アンプとスピーカーをとっかえひっかえしながら、今日は一日レコードを聞きました。最終的に落ち着いたのは、PMC IB1S+AIRBOW CLT3、AIRBOW CU80Special+MU80Fine Tuneの組合せです。このシステムなら、レコードさえ選べば最高のCD(AIRBOW UX1SE/LTD)と遜色のない音を聞かせてくれます。
ソフトは、ディスコ時代のマイナーなものから聞き始め、途中EGO Wrappin’のLPを挟みつつ、気分が晴れるようなアップテンポな音楽を中心に聞きました。そして最後に「絶対これは行ける!」と感じていた、とっておきの「ドナ・サマー」のベスト盤をかけたのですが、さすがにこのレコードは納得できる素晴らしい音で鳴りました!
このレコードは、1979-1980年に発売された彼女のベストアルバムですが、その音と内容は、今でも全く色あせないばかりか、これが「新曲」といっても通用するほどの素晴らしい出来映えです。そして、このレコードを聞いていると、最近私がとんとCDを買わなくなった理由がハッキリと分かりました。それは「つまらない」からです。
今から30年近く前にこれほど斬新な音楽が、これほど素晴らしい音で作られていたなんて!今さらながらに驚きです。これと比べれば、最新のデジタル機器によって編集された音楽の「つまらない」こと。
しかも、当時は、今のように優れたデジタル編集機なんてなかったはずです。それなのにミキシングもエフェクトも最高です。当時の機材の水準を考えれば、このレコードの仕上がりは考えられないくらい「クリエイティブ」です。
この素晴らしいアルバムから比べれば、今の多くの音楽なんて、まったくの「インスタント」の域を出ません。デジタル編集機さえ使えれば、誰だってそこそこの「音(アルバム)」が作れてしまいます。これは大いに不幸なことです。演奏家としてのレベルが低い人間(つまり、あまり上手でない方)でも「そこそこ聞けるアルバム」が作れてしまうからです。
器楽演奏では、何十回と演奏し「ミスの無かった部分」を切り貼りすれば、一応聞けるアルバムには仕上がります。ボーカルにしたって何度も録音して、それをイコライジングやデジタル加工して「切り貼り」して仕上げれば、どんな音痴だって、聞けるボーカルに仕上がります。もちろん、そんな演奏家(実に多い。アイドル系のボーカルはほとんどそう)は、ライブではへたくそすぎて聞けません。そんなライブでは、CDを再生し歌手はクチパクで済ませているのです。
そんな音楽とは呼べない偽物が多いのですが、悪いことにそれが売れてしまうのです。効果のまったくない健康食品が売れるの同じように、素人同然の音楽でもメディアが腐った宣伝を繰り広げれば、そこそこ売れるようです。最近目立つのは、お笑い(おばかんさん)の歌が売れることです。
私自身「お笑い」は好きですし、かれらの素直な表情を見るのも嫌いではありません。そして、そういう「お軽い文化(大阪的乗りです)」を否定するつもりはありませんが、音楽として考えた場合、アレはダメだと思うのです。あんな「内容の薄い」ものを聞いていても、人間は育ちません。中身が浅すぎます。気晴らしには良いかもしれませんが、絶対にメインで聞く音楽ではありません。
もちろん、それは個人の自由ですから、口を出すべきことでないのは百も承知です。問題は、そういう「つまらないもの」が「すばらしいもの」を押しのけて横行し、音楽業界全体のレベルを低下させることです。そもそも、この問題について彼らにまったく責任はありません。害悪は「儲け至上主義」のマスコミです。金になるなら、何でもお構いなしの「パパラッチ」と今のテレビ局、新聞社は何が違うのでしょう?主義なきマスコミは、ゴミ以下の存在です。悪臭を垂れ流し、人を不快にするだけです。そんなマスコミの横柄な宣伝に飽き飽きして、私は自然とCDを買わなくなっていたのでしょう。なかなか本物が見つからないのです。
振り返れば、30年前と比べて、あるいは50年前と比べて、人間(日本人)は間違いなく「幼稚」になりました。特に男性が酷いと思いますが、それは「手作り」を止めたことにも原因があるのではないでしょうか?なんでもPC(デジタル)で簡単にできてしまう。それは、私たちから「手作り」という「クリエイティブ」で「知的」な楽しみを奪ってしまいました。簡単にできあがるものから学べることは「簡単な内容」でしかありません。苦労して作り上げたものからのみ「深いこと」が学べるのです。
高校時代、私はモノクロ写真を撮影し、自分で現像~焼き付けを行って遊んでいました。でも、それがカラーになったときに写真を止めました。なぜ?つまらなくなったからです。カラー写真は複雑で「自分の写真を工夫して作る」ことができません。モノクロならフィルムを選び、さらに増感現像による「粗粒子化」や「ハイコントラスト化」、あるいは減感現像による「微粒子化」や「低コントラスト化」などのテクニックを駆使して「これしかない!」一枚を作ることができます。焼き付け時にも様々なテクニックが考えられます。その上、それらの作業は非常に難しく、完成が想像できません。結果として、それまで経験しなかった「何か」が起きて、意図しない素晴らしい作品に仕上がることがあります。それが「自分だけのノウハウ」になったときの喜びの大きさ!それがデジタルの世界にあるでしょうか?
デジタルカメラは、私にとってすでに「写真」ではありません。デジタルカメラとPCによる編集では、そんな「素晴らしい偶然」は発現しないからです。便利ですが、深みがなく、それは「ただの記録」以上のものではありません。間違っても「作品」では、ないと思うのです。だいたい「何度も取り直しができる!」なんて、おかしいじゃありませんか。取り直しが聞かないからこそ、一枚を集中して撮影するのです。モータードライブを使ったり、何度も取り直しができたり、そんなので「良い作品(入魂の作品)」ができるわけありません。
もちろん、デジタルは大変便利ですから、何でもかんでも「アナログ」が良いとは言いません。しかし、それでも「アナログ」には「デジタル」にない「深み」や「良さ」が絶対にあると思うのです。もし、世界の名画が「デジタル編集」で描かれていたら、これほどまでに人の心を打ったでしょうか?
私たちは便利さと引き替えに、どんどん大切な「何か」を失っているのではないでしょうか?それは「音楽」も同じです。今の時代にデジタル編集とデジタル音源を一切使わないで音楽を作ったら、どんな作品が生まれるでしょうか?間違いなく言えるのは、「ごまかし」が通用しないアナログでは、その「中身が厳しく問われる」ことになるということです。それを30年も前に成し遂げていたドナ・サマーとバックミュージシャン、そしてレコーディングエンジニアは今さらながらに「もの凄い!」と今日改めて思ったのでした。

カテゴリー: メルマガ, 社長のうんちく タグ: パーマリンク