StereoSound(ステレオサウンド) 171号「“音楽”の原点」

5月2日に悲しいニュースが流れました。日本屈指のロックシンガー「忌野清志郎さん」が逝去されたのです。私はどちらかと言えば音楽は一人で聞くのが好きなので、ライブにはあまり行く習慣がありません。しかし、1999年9月24日、東京の六本木のライブハウス、スイートベイジル139で行われた「井上陽水シークレットライブ」に忌野清志郎さんがゲストとして参加されたときに「彼を生で見る」ことができました。ライブの模様は、同年「12月10日にNHK BS2」で「12月26日 NHK 総合」で「井上陽水シークレットライブ日本で一番、憂鬱でハッピーな一日」として放送されましたので、ご存じの方もいらっしゃると思います。私は縁があってこの「シークレットライブ」に参加することができました。私が陣取った2階席最前列からステージまでの距離は僅か10m程度で、マイクを通さない「肉声」が聞こえそうな気がしたほどでした。NHK番組の題名通り、どこか「憂鬱」そうな井上陽水さんと比べ、まるで雲一つない青空に燦々と輝く太陽のように明るくパワフルな「忌野清志郎さん」は、対照的なコントラストを放っていました。
偉大なロック・ミュージシャンとしてだけではなく一人の人間として、私は尊敬の念を抱いています。「言いたいことを言う」それがロックシンガーとしての彼の変わらなかったスタイルですが、それを貫くがあまり「放送禁止」や「CD発売禁止」などの措置を受けたことは広く知れ渡っています。それでも彼は「反体制ロックシンガー」のスタイルを変えず「権威や体制」を批判することを止めませんでした。止めるどころか、圧力があればそれを跳ね返すように、彼はより大きなエネルギーをぶつけました。そのストレスが、彼の命を削ったのかも知れませんが、文字通り「歌に命をかけた一人の男の生き様」には、同じ男として憧れさえ感じます。
彼の訴える「愛」。それは「コミュニケーション」から生まれます。心に「わだかまり」が生まれたとき大切なのは、何も言わず心にストレスをため込んで爆発させることではなく、コミュニケーションで発散することです。お互いの主張をぶつけ合いながら、お互いに少しずつ我慢して、それを感謝し合って、小さな愛が育まれて・・・、争いがなくなって笑顔が溢れる。そんな世界を清志郎さんは、訴えたかったのだと思います。彼の叫ぶ「愛し合っているかい!」には、男女の愛、友情などを総括した大きな「人類愛」への想いが込められているに違いありません。「人類はみんな家族のように愛し合って生きるべきだ」。それが彼からのメッセージのように思えます。原発を批判したり、利己主義の政治家や体制を批判したり、それを臆することなく堂々とロックミュージックに乗せて歌い続けた、彼の「愛」の輝きは、彼が亡くなっても色あせることはありません。
私は清志郎さんの「歌声」が大好きです。綺麗で心地よい言葉で飾られた耳当たりが良くても次の日には忘れているような歌が多い中で、確かに彼の放つ魂の叫びは強烈で、時として人前でそれを聞くのが憚られるほどです。しかし、彼が発する言葉の「毒」が時間によって浄化された後には、「メッセージ」だけが心に深く刻まれます。忘れられないメロディー。忘れられない歌声。忌野清志郎さんは、偉大なロックシンガーでした。
「音楽」は、人と人を結ぶもの。言葉だけでは距離が近すぎて、音だけでは距離が遠すぎる。そんな時に「歌」はちょうど良い距離感を保ちながら、心に触れてきます。音より遥かに強いメッセージ性を持ちながら、演説のようにうるさいわけではありません。時として言葉として聞き入り、時として旋律として聞き流せる。ちょうど良い距離感を保ちながら音楽は私たちに近づいてきて、「心の垣根」を消してしまう。それが「音楽」の原点です。
「音」は、心と心を結ぶもの。忌野清志郎さんの「生演奏」は、もう二度と生では聞けないけど、弾けるリズムと独特の調子の歌と共に「みんな愛し合ってるかい!」彼のメッセージは、永遠に生き続けます。オーディオがこの世にある限り!

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