逸品館メルマガ242「再びオーディオの未来を考える」

来月初めからカートのレースシーズンが始まる関係から、一昨日、昨日とサーキットへ準備に行っておりました。ところがサーキットに行った翌日は、なぜか体がほてったり、下痢をしたり、けだるい感じがしたりと体調が芳しくない事が多いのです。疲れか風邪かなとも思ったのですが、花粉症の初期症状かも知れません。この時期花粉が多く、花粉症の方は大変だと思います。逸品館でも年々花粉症の社員が増えていますが、原因は花粉だけではなく大気汚染の影響も大きいと思います。花粉の多い時期は、空気の綺麗なところに行きたいですね!

最近、CDはなくなるのですか?音楽は、PC/ネットワークオーディオに変わって行くのですか?という質問を度々耳にします。答えは確実にYESです。同時にハイエンドオーディオ(オーディオ)はなくなってしまうのですか?と言う質問も耳にします。答えは、絶対にNoですが、その規模が今より大きくなるのか?小さくなるのか?は、まだわからないと感じています。その理由を説明します。

CDの発売でテープレコーダーはなくなりましたが、アナログレコードは残りました。レコードよりも便利なテープレコーダーが廃れ、不便なレコードが残ったのはなぜでしょう?私は1000枚以上のアナログレコードを所有しています。聴くことはほとんどないのですが、レコードが手元にあると安心します。

その最大の理由は「所有欲が満たされることにある」と考えています。私は古いタイプの人間なのかも知れませんが、図書館で本を借りると言うことをしません(最近は本を読むことが滅多にありませんが)、また電子ブックも利用しません。もし、読みたい小説があれば「本屋さんで買う」でしょう。鞄に入れた書籍の重さを感じ、表紙をめくるという「アナログ的行為」から私の読書は始まります。読み終えた本を書棚に入れ、時には読み返し色あせてゆく表紙を見ながら、過ぎ去った自分の時を省みます。そういう「自分と共に変わって行く存在感」が欲しいからです(単純に電子ブックは読みにくいと言うこともありますが)。

PCに取り込んだデーターや音源ファイルには、そういう「重さ」が感じられません。だから、本当に聞きたい音楽を「配信データーで入手する」ということに興味を持てないのです。これは、映画も同じです。見たい映画、見返したい映画は、かならずBD/DVDで購入します(映画はさすがにVTRテープで欲しいとは思いませんが)。

レコードを聴くときには、新品のレコードの封を切り、ライナーズノートに目を通し、注意深く針を落とす。一連の動作を通じて「音楽にフォーカスしてゆく」その感覚が好きです。オーディオや読書だけではなく、茶道や華道も「お茶を飲む」あるいは「花を生ける」という行為そのものだけではなく、準備段階から集中を高め気持ちをフォーカスするように作法が完成されています。

ゆったりとした「異質の時の流れそのものを楽しむ(慈しむ)」ことが趣味の味わいなのだと思います。もちろん若いときには、そういうことを面倒だと感じていたこともあります。しかし、年齢や経験を積んだ今では、自然にそれらを受け入れるようになり、楽しんでいます。

オーディオ界の重鎮「菅野沖彦さん」が、PC/ネットワークオーディオなどオーディオではないと断言されましたが、連綿と築き上げてきた「オーディオの作法」をすべて否定されるのですから当然だと思います。私も基本的には菅野さんの想いに強く共感しますが、もう少し広い視野を持って一人でも多くのお客様がよりよい音楽をよりよい音で聴くための(よりよい映画をよりよい画質音質で見られるための)お手伝いを精一杯させて頂きたいという観点から、PC/ネットワークオーディオの楽しみ方を否定しません。

果たして、オーディオの未来はどうなってゆくのでしょうか?ネットからダウンロードした音楽を聞くだけがオーディオに残される楽しみ方ならば、ハイエンドオーディオの未来は縮小すると思います。高級家具や調度品がその形を変えないように、高級品には「趣」や「存在感」が必要だと思います。機器だけではなく「音源/ディスク」にも高級感や存在感が必要だと思います。未来にどのような形で「音源」が残るのか?それがオーディオの未来を形を決めるはずです。

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