社長のうんちく」カテゴリーアーカイブ

逸品館メルマガ228「年間シリーズランキング2位を奪取」

今年の年末は大忙しです。年末にかけて発売が予定されているもしくは発売された製品が、次々と持ち込まれそれらのテストを行わねばならないからです。新製品の情報をまとめることは忙しくとも楽しい時間なのですが、一度に集中すると処理が追いつきません。年末に向けてテストレポートのアップロードはできる限り早く行う予定ですが、HP作成より短時間で製作できて豊富な情報をお届けできる「Ustreamの発信」を増やす予定です。 逸品館の代表である私、清原裕介が行っている「Ustream」の情報発信も、徐々にクォリティーを上げています。画質は大きく変わっていませんが、ソフトウェアーのバージョ ンアップにより、音声配信の品質がAAC... 続きを読む

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オーディオベーシック60号「惑星 Ultimate」をサラウンドでお聞きいただけます

去る6月20日作曲家「富田勲氏」が逸品館を訪問... 続きを読む

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AudioAccessory(オーディオアクセサリー) 143号「スペック信仰は間違っている」

ネッ... 続きを読む

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【ステレオサウンド179号】オーディオ巡礼~人生至高のシステムのために

ステレオサウンド178号で五味康祐さんの著書「オーディオ巡礼」に触れた記事を読んだ。私も五味康祐さんの著書には随分と影響を受けた一人である。一心不乱、命に掛けて、そういう言葉さえ安っぽく感じられるほどの情熱を傾けてオーディオと音楽に一生を捧げた人。私が五味康祐さんを知ったのは、彼が「占い師としてテレビに出ている頃」だった。浮浪者のように和服を着崩し、無精ひげにぼさぼさの髪。ピントが合っているようなあっていないような過激なコメントを繰り返す様。その頃は、五味さんのことを「頭のいかれた変な親父」としか思っていなかった。しかし、彼の没後随分経ってからオーディオ関連の著書を読んで、彼の本当の人となりを初めて知り、思わず涙が出た。 日本人は世界一「求道的な人種」だと評されるが、事実私たちはあらゆるものを「道」にしてしまう。茶道、書道、華道に始まり、一見下らないと思える日常の行為にさえ「道」を名付けて憚らない。それは単一民族の「偏ったものの見方」が高じたものかもしれないし、並外れた知的好奇心によるものかも知れない。とにかく日本人、特に男性は「凝り性」が多いようだ。オーディオ、カメラ、車は「男の趣味」の代表とされるが、日本人は特に顕著なのではないだろうか?そして「道」のために私たちは、時として命さえ賭す。 私はオーディオを生業とする。オーディオを職業に選んだのは、生まれつきの「凝り性」が活かせるからだが、それよりも「お客様に大きな喜びをもたらせること」が一番の理由だ。人より安くものを売るような商売は、絶対に長続きしない。栄華と衰退を極めた「ダイエー」が良い例だ。形あるもの定価があるものを安く売る商売には、必ず終わりがやってくる。今の日本の産業の衰退もそれを示している。所詮目に見えるものは「浅い」ものでしかない。「価格でものを選ぶような買い物」を続けても進歩はないし、ゴールには決して辿り着かない。大切なのは「目に見えない価値」を知り、そこから謙虚に学ぶことだ。 私は大学で「農芸化学」を専攻したが、実験に求められる「精度の曖昧さ」に嫌気がさしてその道に進むのは止めてしまった。今問題となっている「環境基準の見直し」は、今に始まったことではない。化学実験の結果(データ)など「経済の要求」の前ではどうにでも改ざんされる。例えそれが数十年後の地球のための素晴らしい研究であったとしても、経済効果が期待できず、今すぐに利益を生まない研究は無視される。予算を得るためのデータのかさ上げなど日常茶飯事だ。それが「世の中」というものだ。信じたものに裏切られる空虚な気持ち。自分が命を捧げたものに裏切られる空虚な気持ち。戦争は経験していないが、五味康祐氏が感じた「喪失感」は私にもよく分かる。その隙間を「音(音楽)」で埋めようとした気持ちにも共感を覚える。人生には「絶望的な喪失感」を経験したことがなければ、芸術の深さは分からないとさえ思う。人はどん底に落ち、初めて目が開く。 今のオーディオ雑誌やオーディオ製品に、この「喪失感」を埋めるに相応しい製品はあるか?絶望的な「乾き」を癒し、音楽を至高の芸術ちして再現できる装置はあるか?振り返ったとき、昔よりあらゆるものが「薄くなっている」と感じ、憤りすら覚えることがある。しかし、他方、恐るべき技術の進歩が今までになかった価値をオーディオに生み出している。今のデジタルサウンドを聞くことができたら、五味康祐氏はどのように評価するだろうか?それとも、つまらないこけおどしとおっしゃるだろうか? 五味康祐氏の考えと沿わないことが一つある。それは私が「高いもの」、「珍しいもの」を良しとしないことだ。オーディオの音楽性は、価格では推し量れない。まして希少性とは何の関係もない。問題は「心」である。求める心に応じられる音で音楽を鳴らせるか?それがオーディオの全てである。薄っぺらな専門店が多すぎる。音楽を知らないアドバイザーが多すぎる。あなたがもし「人生で巡り会うべきオーディオ」をお探しなら、私が全力でお手伝いしたいと思う。想像以上の音楽性が、あなたの人生を満たすに違いない。 ... 続きを読む

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逸品館メルマガ227「コミュニケーションを考える」

ギリシャを発端とするユーロ危機は未だに収束していません。私は現在の世界状況を「民主主義」の危機と捉えています。皮肉にもユーロ危機と同じギリシャから始まった「民主主義」というシステムは、ギリシャの危機と同じく「コミュニティーサイズの増大」により、現代社会では崩壊が始まっていると思えるからです。 増大民主主義の基本システムが発明された1000年以上前のコミュニティーサイズは、現在よりも遙かに小さく精々数千人から最大でも一万人規模であったと考えられます。しかし、現在は交通と通信の発達によりそのサイズは飛躍的に大きくなり、コミュニティーサイズは知事選の場合1000万人を超えます。今月に実施される大阪市長・知事W選とは1000万人を超えるコミュニティーの長を「市府民一人一人」が投票で決めるわけです。 これほど大きいコミュニティーの長を決められる情報と判断力を選挙権を持つ全員が有しているとは思えません。正常な判断力と情報を持たない人が、政権に参加する恐ろしさ。それを肯定するのが現在の「民主主義」というシステムです。 今の民主主義を交通に例えて説明するなら、車が少ないときはすべてのドライバーが「無免許」だとしても、大きな問題は起きませんでした。しかし、路上に人と車が溢れるようになった現代社会に無免許ドライバーが溢れたら、事故が多発し交通は麻痺します。今の民主主義は、こんな状態なのではないでしょうか?しかるべき判断力と正しい情報なしに、重要な決断を行うことはできません。私を含め民衆は驚くほど無知か、もしくは必要な情報を与えられていないため、正しい首長を決めることができません。すべての民衆に無条件に選挙権を与えるのは、公平で合理的なように見えて実は無免許の自動車を道路に溢れさせているようなものではないのでしょうか。 科学の進歩の名の下に肯定される技術革新。中でもインターネットの誕生を始めとするデジタル技術の恐ろしいほど早い革新に、私たちの社会はまったく追いついていません。これからは技術革新の波に乗れ、瞬時に決断でき、さらに判断の誤りを柔軟かつ迅速に修正できる機能(主権)が今必要だと私は思います。もちろん、そのシステムは民意を反映できるものでなければなりません。そのような政府を日本が持てるなら、未来は私たち民衆にとって素晴らしいものになると思えるのです。 話を変えましょう。以前からお話ししてきたように、私の主な趣味はカートレースと魚釣りです。しかし、じっくり考えてみるとこの二つの趣味には明らかな違いが見いだせます。それは、趣味を通じたコミュニティーの存在が必要かどうか?ということです。カートレースは、相手がいなければ成立しません。練習で一人黙々とサーキットを走っていても全く楽しくありません。私にとってカートレースとは、それを通じて生まれる競争やコミュニケーションが必須で一人きりでは趣味として成立しないのです。それに対し魚釣りは、一人きりでも楽しいのです。仲間とわいわい魚釣りをするのも悪くないですが、一人きりの環境で魚釣りに没頭する方が、私は好きです。自分自身で目標を定め、それを超える楽しさ。山登りはしませんが、もしかすると同じなのかも知れません。 オーディオは?どうでしょう。シアターは?どうでしょう。私にとってのオーディオは、それを通じて生まれる人の輪が楽しみです。シアターは?映画やドラマは絶対に一人で見ます。そういう意味で私にとってオーディオはレースに近く、シアターは魚釣りに近いのかも知れません。 このように同じ趣味を愛好するとしてもその目的によって、趣味そのものへの取り組み方が全く変わってきます。私はオーディオの世界において、過去これが一番とか、これは絶対に駄目、とか随分と乱暴な発言もしてきました。それは「絶対的な一番」をオーディオに求めたからです。しかし、「一番」をレースに求めるようになった今、音楽とオーディオの関わりの本質に気付いて安心した今は、考えが変わりました。 レースと違ってオーディオやシアターには「明確な一番」がありません。好き嫌いはあっても「最高(一番)」はないからです。最適はあっても最高がないからこそ、オーディオやシアターは参加者すべてが最大の満足感を得られる可能性を秘めています。オーディオやシアターにスタートはありますが、ゴールもなければ順位もありません。マイペースでその道すがらを永遠に楽しめるのが、オーディオとシアターの醍醐味です。 最近は私は思います。100のオーディオ、100のシアターがあれば、そこには100の幸せがあるはずだと。幸せになれない趣味なんて誰もやらないからです。昔はその幸せを10/100しか理解できず、残りの90は応援できなかったかも知れません。しかし、今なら10よりももっと多くの幸せを応援できると思います。そして、これからも応援できる幸せの数を増やし続けて、それをできる限り100に近づけたいと思います。肉体は時と共に衰えます。それと戦うのではなく、それに負けず心を豊かにすることで、可能になると思うのです。 ... 続きを読む

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