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逸品館メルマガ036「目に見えないものの価値」

「花冷え」の言葉通り、桜の季節の直前に冷え込んでいますが、いかがお過ごしでいらっしゃいますか? こんなに少し、それも年に僅かな期間のちょっとした季節の変化まで繊細に言葉で表現できる日本語って素晴らしいと思いませんか?私は言語学者ではありませんが、こんなに繊細に様々な事象を表現できる言葉は、日本語だけではないかとすら思えるほど、日本語は繊細でそして優しい言葉です。そして、そんな言葉を発明した日本人も素晴らしく繊細で優しい心を持っているのだと思います。にもかかわらず最近の日本の言語は、どんどん乱暴でチープになっています。言葉の乱れが先なのか?心の乱れが先なのか?それはわかりませんが、美しい日本語が荒れてゆくのを感じると気持ちはすごく複雑になります。 私が日本人として誇りを持てる日本語ですが、日本人として恥と感じるのが「役人天国(権力者のやりたい放題)」を許していることです。規格に合わないから、少数だから、面倒だから、そんな理由で弱者を切り捨てたら、いずれその報いは自分に戻ってきます。人間は弱いから助け合って生きていかないと生きられないのですから。人を切り捨てると、いつか自分も社会に切り捨てられるでしょう。私の中学時代の友人にいわゆる「ホームレス」を支援している奴がいます。ありきたりの社会と怠惰な生活に背を向けて、あえて茨の道を選んで生きています。彼の活動は検索エンジンで「芳井 武志」を探していただければ、わかるはずです。それが正しいか?あるいは賛同できるかどうか?そして、実際に自分が協力できるかどうか?難しい現実は、いったん脇に置いて自分たちの周りにある「理不尽な問題」について、私たちは常に「知っておくべき=興味を持っておくべき」だと思うのです。実際に行動を起こすかどうかは、今は大きな問題ではないと思います。最も大切なのは「関心を失わないこと=無関心にならないこと」です。関心を失わずにいれば、いつかそう感じる人が多くなれば、それが世の中を動かす原動力となるはずだからです。 人間が人間らしく生きて行くために絶対に必要なのは「思い(希望や夢、思いやりの気持ち)」を失わないことではないでしょうか?その大切な「思い」を失わないために「思い」を大きく広げ共感の輪に飛び込むために必要なのは、「目に見えない物を感じ取る力(心の力)の大きさ」です。その力は「お金」、「権力」、「数字」などの「ハッキリと目に見えるもの」に頼っていると失われます。必要なものが「お金」で簡単に手にはいるようになると、それに比例して「感謝の気持ち」が失われるからです。「あたりまえ」の気持ちが強くなり、感謝の気持ちが薄くなると「お金では手に入れられないもの」の存在が見えなくなります。そこにこそ「求めるもの」があるのに気づかないまま、心は少しずつ壊れて行きます。\5,000/1本の水を飲むようになったら、汗をかいてたどり着いた湧き水の旨さを味わえることはなくなるでしょう。努力して手に入れた「水」は、\5,000/1本の水とは比べものにならない価値があるはずなのに、その人はもう二度とその価値を手に出来ないのです。庶民が汗を流した税金を無駄遣いするのは、公僕としてのあるべき姿ではありません。そして、その善悪を決めるのは「法律」ではありません。個人の心の中にある「道徳観」であり「正義感」です。ひとは「心」で動いているのであって「法律(外からの命令)」で動いているのではありません。自分の行動を決めるのは「自分自身の考え」であって、決して「人から操られている」のではありません。それが、最近は「目に見えるもの(法律や契約)」ばかりがクローズアップされて、それらよりも遙かに大切なはずの「目に見えないもの」がどんどんおろそかになっているように思うのです。人を傷つけたり、人を傷つけても平気なのは、傷つく人の姿を見ていないからではないでしょうか?傷ついた心が流す、見えない血が彼らには感じ取れないのかも知れません。「見えないほどの小さな季節の変化」すら美しい言葉に残した日本語の持つ優しさや繊細さとは、まったく対極の世界のようではありませんか?日本人が本来身につけていた繊細な「目に見えないものを見る力」=「想像力(思いやり)」が失われた結果が日本語の荒廃に現れているのだとすれば、恐ろしいことです。 ... 続きを読む

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逸品館メルマガ035「オーディオアクセサリーについて思うこと」

少し早いですが、4月といえば新学期です。新学期の始まりに桜を見ながら、散りゆく桜花の舞う中を登校するというのが日本の風物詩だったように思うのですが、今年の桜の開花は、かなり早くなるのではと予想されています。新学期を迎えるまでには「受験」という難関が待ち受けています。オーディオやホームシアターは楽しい趣味ですが、時として周囲には騒音となってしまうことがあります。もし、お近くに受験生の方がいらっしゃったら「音量エチケット」には、くれぐれも気を使ってあげてください。 年末年始のセールでAETの超高級ケーブル「SIN」が大ヒットしました。「満足度保証」と銘打って行ったセールですが、実際の返品は「ゼロ」。つまり返品はまったくありませんでした。10万円近くもする電源ケーブル、6万円/1mもするケーブルが大ヒットして返品がないというのは、すごいことです。ケーブルで音が変わるのだろうか?電気的にはなかなか説明が付かないことですが、このセールの結果が一つの答えとなるでしょう。高級ケーブルに価値はあるのです。 この高級ケーブルという市場は、ここ10年で急速に拡大しています。それは、アナログディスク(レコード)文化が終わり、デジタル(CD)文化が始まったことと無関係ではないと思うのです。アナログディスクの時代なら、さしずめ「カートリッジ」、「昇圧トランス」、「フォノイコライザ/プリアンプ」に相当するオーディオ製品が、高級ケーブルなのではないでしょうか?大がかりに機器を買い換えることなく、自分自身で音を作ることのできる最後の砦が「ケーブル」をはじめとする「オーディオアクセサリー」なのでしょう。 そういう意味で、近年の「オーディオアクセサリー」のマーケットは、拡大し続けあたかも雨後の竹の子のように様々な「オーディオアクセサリー」のメーカーが出現しています。しかし、今回ご紹介した「AET」のように「価格と音質の価値が一致している製品」は、そんなに多くありません。具体的なメーカー名は上げませんが、逸品館がお薦めしていないオーディオアクセサリーメーカーの製品のほとんどは「コストパフォーマンスが悪い=価格ほど音が良くならない」と考えています。逸品館も「AIRBOW」というブランドでオーディオアクセサリーを発売していますが「すごく音が良くなる」からといって「製造コストを無 視した高い価格」を付けることはありません。なぜなら、アクセサリーはあくまでもアクセサリーであって「確実な効果を保証できる製品ではない」という考えがあるからです。 例えば、アンプやスピーカー、CDプレーヤーは、直接を音を変えることができる、つまり「主役」です。しかし、オーディオアクセサリーは主役を引き立てるための「脇役」に過ぎません。それが主役よりも遙かに高い価格であって良いわけがありません。たしかに、AETのケーブルは高価ですが返品のないことがその確実な効果を裏付けています。それに対し、逸品館が積極的にお薦めしていないオーディオアクセサリーの多くは「確実な効果」を保証できません。使い方で良くもなるし、そうではないこともあります。AIRBOWの開発製造を通じて「生産コスト」も大体わかりますから、馬鹿みたいに高い値段を付けているアクセサリーも販売を見合わせています。もちろん、市場に発売されているすべてのアクセサリーをテストしているわけではありませんから、逸品館が薦めていないから良くない製品だと言うことにはなりません。その部分は、誤解のないようにお願いいたします。 このオーディオアクセサリーに対してAIRBOWが発売している「チューンナップモデル」は、脇役ではなく主役です。確かにメーカー製品をベースにしていますが、非常に厳密で長時間のヒヤリング開発という多大なコストを懸けて開発されています。年末に発売を予告したPS8500ベースのAVアンプがまだ発売できないのは、音質が納得行かないからです。そのために今年に入ってから、文字通り一カ所を変更して数日連続でヒヤリングテストを行い、納得の行く結果が出たら次の一カ所を改良してテストを行いという、気の遠くなるような手間と時間をかけて開発を行っている最中です。AIRBOWのチューニングには時間がかかります。つまり、1機種を販売にこぎ着けるまでには、膨大なコストがかかるのです。それ故に、チューンナップされた製品がベースモデルの倍を超える ほど高価になることがありますが、高く売りつけているわけではありませんのでご理解下さいませ。事実、AETと同時に行っています「AIRBOW品質保証サービス」ですが、返品は数台のみに留まっています。その返品理由も、音が気に入らなかったというのではなく、購入したモデルよりも上位モデルに変更したいという積極的な理由からでした。 https://www.ippinkan.com/airbow/airbow_campain.htm オーディオは、「積極的に音を作って楽しんで良い」、「生と再生音楽を比べる必要はない」と高いところから論じてきましたが、何事にも節度はあります。冒頭でお話しした「音質エチケット」同様に、商売にも「エチケット」と「倫理」が存在しなければなりません。私が常々疑問に思うのは、サントリーなどの酒造メーカーが「健康食品」を販売していることです。確かに、飲み過ぎなければ毒にはならない「お酒」ですが、度を過ぎれば体に悪影響を及ぼします。たばこもそうですが「有害性」を承知していながら「お酒」を売っているメーカーが「健康食品」を販売しているのが、腑に落ちないのです。「毒」と「薬」を同じ会社が作っているようなものではないでしょうか?そういう会社の「倫理観」を果たして信用して良いのでしょうか?なんて疑いを持ってしまいます。 オーディオアクセサリーも使い方によって「毒」になる場合があります。どんなアクセサリーも使いすぎは良くありません。試して良かったからと言っていきなり増やすのではなく、少しずつ試しながら、徐々に増やしてゆかれることをお薦めいたします。 ... 続きを読む

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逸品館メルマガ034「オーディオの真髄とは?」

今回の話題は「音楽的感動」です。音楽的な感動を初めて体験なされたのはいつ頃でいらっしゃいますか?音楽を聴いて初めて涙を流されたのは、小学生時代?それとも中学に入られてからでしょうか?私は、中学時代にフォークソングを聴いていたときだったと思います。もしかすると、小学生時代にディスニーの映画を観て涙を流していたかも知れませんが、一つ確かなことは、私が音楽を聴いて初めて涙を流したのは「生演奏」ではなく「オーディオから流れる音楽だった」ということです。生演奏とオーディオで聴く音楽では、聴いていた時間の長さがまったく違うのでフェアな比較ではないかも知れませんが、とにかく生演奏を聴いて涙を流した記憶は数えるほどしかありません。今までに音楽を聴いて流した涙の量は圧倒的に「オーディオから流れる音楽を聴いていたとき」が多いのです。 歌謡曲を聴き、JAZZを聴き、クラシックを聴き、あらゆる音楽を聴いて今までに沢山の感涙に噎んできました。純粋に音楽を楽しんでいたときではなく自分自身のオーディオセットの音が良くなったときにも涙を流しました。オーディオの音を聴きながら、オーデ ィオで音楽を聴きながら、感極まって涙が流れたことは数知れません。今振り返れば私にとってのオーディオとは、そういう「音楽的な感動」を与えてくれると同時に「純粋に音が良くなった感動」も与えてくれる、いわば音楽を聴く道具であり、自分で演奏する楽器でもあったように思います。 自分自身のパーソナルなオーディオセット(といってもラジカセ程度でしたが)を手に入れた頃は、フォークソングばかり聴いていました。井上陽水にはじまり、吉田拓郎、泉谷しげる、5つの赤い風船、風、かぐや姫、大塚まさじ、はしだのりひこ、数え上げればきりがないほどのフォークソングを聴きました。一緒に歌いたくなってギターを買い、学校から帰るとすぐにギターを抱えて歌っていました。でも、彼らの中でそれを「生」で聴いたことがあるのは、井上陽水、忌野清志郎、奥田民生、来生たかお、くらいでしょうか?POPSでは、さらに少なく中ではピーボブライソンのライブが素晴らしかったことを覚えています。JAZZやクラシックにいたっては、古い録音を好んで聴いていた事もあって、それらを「生」で聴いた経験はほとんどありません。 にもかかわらず、初めて生で「井上陽水」を聴いたとき「まったく違和感がなかった」ことを覚えています。つまり、私がつたないオーディオセットで聴いていた「井上陽水」と始めて生で聴いた「井上陽水」には、まったくと言っていいほど差が感じられなかったのです。コンサートが終わって楽屋で井上陽水と言葉を交わしたときも、まるで旧知のような親しみを覚えこそすれ初めて合う人物とはまったく思えませんでした。それは、きっと彼らの音楽が「生演奏」でも「電気増幅=PA」を使っていることと無関係ではないはずです。なぜなら生演奏と言っても彼らのコンサートには、電気増幅器(いわゆるPA)が使われていて、歌声は「生」ではなく「スピーカー」を通して聞こえるからです。PAもオーディオも電気的に音を増幅して聴かせるという意味で違いはなく、違いがあるとすれば音源が「生」か?あるいは「録音」か?という違いだけなので「生演奏」と「オーディオで聴く演奏」がかなり似ていたとしても不思議はありません。このように歌謡曲では、オーディオと生演奏はほぼイコールです。イコールどころか3号館のような凄いオーディオセットで歌謡曲を聴けば、音質も感動も生演奏を大きく越えることも不可能ではありません。 ... 続きを読む

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逸品館メルマガ033「オーディオ評論家、菅野沖彦邸訪問記」

今週、東京出張の予定があったので、アポイントメントを取って菅野沖彦さんの自宅におじゃましてきました。約3時間、公私の広い範囲にわたって熱の入った雑談を交わし菅野さんの一人の趣味人としてオーディオと車への情熱に触れ若輩者の私など、脱帽の思いです。話の内容は、お互いの立場もあって詳しくはご紹介できないのですが菅野邸で聞かせていただいた「音」について私が述べるのは何ら問題がないと思いますので、私なりに感じた「菅野氏の音」についてお話ししたいと思います。 菅野氏は3種類のシステムを切り替えてお使いだと伺っていましたが、今回の来訪ではあまり時間がなかったのと「何を使われていらっしゃるか?」ではなく「どんな音を出されていらっしゃるか?」が知りたかったので機材については深くお伺いしませんでした。聞かせていただいたシステムは、低域がJBLのウーファー(2255?かなり古いモデルでオリンパスの箱に入っている)、中高域にジャーマンフィジックの無指向性コーン型ユニット、メーカー名は失念しましたがやはり無指向性のスーパーツィーターを使われていらっしゃいました。CDプレーヤーやアンプについては、お伺いしませんでした。 菅野邸のシステムは、過去に何度か雑誌などで紹介されているのでご存じの方がいらっしゃるかも知れませんが、リスニングルームにシステムが仰々しく鎮座しているのではなく、豪華でクラシカルな書斎をイメージさせる部屋の両脇にスピーカーは追いやられ、プレーヤーやアンプも見えるところには置かれていません。あくまでもインテリアの自然さや豪華さを損なわない「脇役」としてオーディオシステムは設置され大量のレコードやCDソフトが主役の位置にあります。 クラシックを2曲と10年少し前にご自身で録音されたJAZZを1曲聴かせて頂いたのですが、音が出てまず驚いたのが「部屋の音」がまったく聞こえないことです。部屋はさほど広くない(たぶん15畳程度)にもかかわらず、変な反射は皆無で重低音ですら嫌な付帯音なしにスーッと消えるではありませんか!その上、音量をかなり上げても音像が崩れずフォルテのエネルギーが殺がれないのは、素晴らしいことです。見かけは、なんの細工もなさそうに思える部屋ですが、非常にデリケートにチューニングされているのがわかりました。その証拠に普段は、メガネを外してオーディオを聞くことはないのですが、このときばかりは自分のメガネの反射音が気になって、メガネを外したほどなのです。 菅野さんに素直に驚いたと感想を述べると、正に我が意を得たりと顔がほころんで「部屋の癖に合わせて丁寧に音を調整している旨」を説明してくださいました。具体的な方法は、お伺いしませんでしたが、その手腕は「さすが」の一言です。 驚いたのは、ルームアコースティックが綿密に調整されていることだけではありません。普通ならスピーカーをこんなに離して、しかも部屋の両端に置くと中央の定位が散漫となり、音場が前後に薄くなってしまうのですが、そんなことは微塵も感じられません。リスニングポジションの前方のお洒落な飾りドアがあるその空間に音像は実に分厚くあたかも、目を閉じると目の前にステージが出現したかのように展開するではありませんか!もちろん、どこにスピーカーがあって、どのスピーカーが鳴っているのかわからないのは、3号館とまったく同じですが、菅野さんはそれを「レーザーセッター」のような文明の利器?を使わずに、すべてご自身の耳だけで追い込まれているのです。それは、まさにオーディオマイスターの本領発揮といったところでしょう。 音質の傾向は、強いて言うなら「モノラルレコード、それもSPを聞いている」かのような非常に濃い音場で、全体的には渾然と鳴っているように聞こえるのですが、分離すべき所はきちんと分離する一種独特な鳴り方をします。私が3号館でならしているような「クリアで明晰なHiFi系のサウンド」とは、まったく逆方向です。 菅野邸のオーディオシステムは、外見こそ部屋のインテリアにとけ込んでいておとなしく感じられるのですが、シンバルの鳴り方や、ドラムの風圧まで体で感じられるフォルテの出方は半端じゃありません。オーディオマニアを驚かすため?あるいは、常に生の音に接していらっしゃるせいか、そのエネルギー感は少し過剰?とも感じられるほどのすさまじいリアリティーが感じられます。シンバルは耳に突き刺さり、ドラムは体を揺するすさまじいエネルギーが発せられるではありませんか! ご高齢なので(失礼)正直、もっとソフィスケイトされた繊細で細めの音を想像していたのですが、出てくる音はまるで違いました。CDを聞いているのを完全に忘れるほどトーンが濃くDレンジがすさまじく広いのです。そのエネルギーは、とても齢70才を越えられた方の出される音ではありません。私が出す音よりも、確実に元気でそして明るく楽しく、エネルギッシュな音に驚かされたのです。 菅野さんは、車にも相当造詣が深くいらっしゃって、その上運転自体も楽しまれます。フェラーリとポルシェをお持ちなのは、雑誌などで紹介されているのですでにご存じかも知れませんが、菅野さんが今でもサーキットに出向かれること、そして過去には国内A級ライセンスをお持ちだったことはあまり知られていないように思います。そんな菅野さんの姿勢から趣味というのは、コレクションとは違う。道具を通じて、またそれらを使いこなすことによって、自分自身の知識と経験を深め、感性を育み、己を高められる。そんな、一人の趣味人として一本筋の通った主張が強く感じられたのです。 子供のような好奇心を忘れず、それを前向きなエネルギーに変換して人生を楽しみながら生きてゆく。自分が70才を超えたとき、これほどまでエネルギッシュにいられるか自信はありませんが、そうありたい、そう生きたいと痛感させられました。 ... 続きを読む

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逸品館メルマガ032「この25年間のオーディオの変遷を振り返る」

今週のメルマガは、筆休めの話題です。私事ですが、20年ほど前に止めていたゴルフを健康のため?に再開することになりました。道具もすべて処分していたので、ゴルフの上手い友人の付き添いで、会社近くの「ゴルフマップ」というゴルフ用品の中古専門店にゴルフ用品一式を購入に行って驚きました! ゴルフクラブの形状が20年前と全然違うではありませんか!野球のボールよりも小さかったドライバーのヘッドがまるでテニスラケットのデカラケのごとくにソフトボールよりも大きくなっているではありませんか?シャフトも柔軟で反発量が強く、全般的に軽い!フェアウェイウッドが増えているなど驚きの連続です。20年ぶりに私が体験したゴルフ用品の進歩は、1世代の進歩に留まらず隔世の感がありました。 振り返ってオーディオはどうでしょう? 音の入り口であるプレーヤーを振り返ってみましょう。CDの発売は、24年前の1982年。ドルビーサラウンドがアナログからデジタル(AC3)になって音質が飛躍的に向上したのが1995年。DVDビデオディスクの発売開始が10年前の1996年頃。SACDの発売は、8年前の1999年とレコードからアナログへの変遷から始まってデジタルプレーヤーは、ここ20年でどんどん進歩しています。 スピーカーはどうでしょう?現在は、主流のトールボーイ型スピーカーですがその先駆である「PIONEER S-77TWIN」の発売は、今から約20年前の1988年です。CDの登場よりやや遅れたS-77TWINの発売を皮切りに、スピーカーは一気にトールボーイ、バーチカルツインタイプへと変遷してゆきます。ウーファーを複数搭載しているトールボーイ型スピーカーも当初こそ中低域に濁りが大きく、大型のシングルウーファーを搭載したスピーカーよりも明らかに音質が劣ってはいましたが、1990年に入って、スピーカー設計コンピューターシミュレーションの技術が格段に進歩した結果、Wウーファでもシングルウーファーと同じような透明度と良好な定位感が得られるようになりました。 アンプはどうでしょう?20年前のアンプにはさすがにリモコンは搭載されていませんが、デザインや方式は現在と大きな変わりはありません。デジタルアンプは、最近の技術のように思われていますが電源のインバーター化(スイッチング電源の採用)は、1980年すでにYAMAHAが「X電源」という名称ですでに商品化していたのです。同時期にSONYもスイッチング電源のプリメインアンプを発売していたように記憶しています。しかし、発売後5年未満でスイッチング電源のアンプは姿を消します。音が悪かったか?売れなかった?どちらかの理由からです。そして、その後アンプは大きな進歩なく現在に至るように思います。FMチューナーにいたっては、20年間まったく進歩していないようです。 経済原理で売れないものは、開発にコストをかけられないのです良くならないのは当然ですが、一度は熱を入れて形成しお客様に夢を見せたにもかかわらず、儲からない、儲けが持続できなかったという(儲からないのはやり方が悪い)勝手な企業の自己事由でオーディオをきっぱり切り捨てるような、20年間を振り返って大企業のオーディオに対する取り組みの「浅さ」、「愛情の無さ」にはあきれるばかりです。大企業ばかりではなく、DENONのようなオーディオ専業メーカーですら一旦は生産を中止したアナログプレーヤーの再生産を開始したり、針交換すら出来ない限定モデルのMCカートリッジを製品が発売される前(つまり誰も音を聞いていない、DENONは音を聞かせていない)に大量受注したり(2000個以上受注したらしい)オーディオメーカーとしての真心を金に売ってしまったかのようです。 私がゴルフを止めた切っ掛けは、当時ゴルフがあまりにも「バブリー」なスポーツだったからです。ゴルフ会員権は天井知らずで値上がりし、サラリーマンでさえ年収の何倍もするゴルフ会員権を争って勝っていた時代です。(バブルの崩壊で、会員権はただの紙くずになりますが) 当然ゴルフ場は、かなり高飛車な態度でゴルフ場の入り口では、ブレザー着用でジーンズしか履かない私は入場を断られる始末です。スポーツに行くのに、なんでジャケットを着なければいけないのか?当時はまだガキンチョの私にはそれがどうしても理解できません。スポーツジムにジャケットを着てゆくような感覚です。同じ正装でも、紋付き袴なら入れたのでしょうか? ゴルフを止める決定打となったのは、桜の咲く頃に行われたコンペで季節外れの吹雪に見舞われたときでした。朝のスタート時間が来たときに、すでに外はかなりの吹雪。私は、こんな天候ではスタートできないと主張したのですが、クラブのフロントはスタートしてくださいの一点張り。嫌々ティーアップした1番ホールで、足下から吹き上げる雪が目に入り目を開けていられない状態。やっとの思いでたどり着いたグリーンでは、ボールに雪が付着して雪だるま状態でまったく転がりません。このような状態でスタートさせるのは無茶苦茶です。 金を払ってもプレーしたくないと感じた私は、まだプレーを続ける僚友を尻目にさっさとクラブハウスに引き上げましたが、私がクラブハウスにたどり着き僚友が2番ホールをプレーしている途中で「クローズ」が宣言され、全員がホールから引き上げてきました。一風呂浴びて暖をとって、フロントに戻るとで待っていたのは「ハーフラウンド分のプレーフィーの請求」です。え???無理だといっているのにスタートさせ、やっぱりダメだったからとクローズし、代金だけ請求するの?これでは詐欺まがいの無茶苦茶な話です。それも、関西ではかなり著名な一流コースの話です。私は完全に切れました!お客を馬鹿にするのにもほどがあるじゃありませんか! もちろん、今ではそんな悪質なコース運営は行われていないようですが、バブルの時代にはこんな酷い話がそこら中でまかり通っていたのです。バブルが崩壊し、世の中はかなり沈静化したようです。バブル期に狂ったような商売をしていたのはゴルフクラブだけではありません。オーディオ業界も似たようなものです。ローンで年収に匹敵するような高額オーディオ製品を次々と買い換えたり、東京には100万円もするPADのスピーカーケーブルを若者にローンで買わせる専門店があったり、私から見れば完全に常軌を失っているとしか思えないような商売がまかり通る有様でした。 最近、再びIT関連事業や株式投資関係を中心にバブルが膨らんできているようです。特に木材、金属、特殊金属など材料の値上がりが酷くなっています。これには、バブル絶頂期に入っている中国による過剰消費に加え、オリンピックをにらんだ建設材料の値上がりを狙った買い占めも拍車をかけているようです。 働かずして大金を得られる人間が増えるにともなって、オーディオ業界は、またしてもバブル期に吸った蜜の味を忘れられないのか、進歩のない機器を発売し、意味のない値上げを続けているようです。いい加減に!謙虚さとほどほどを学ぶことが出来ないのでしょうか?人間は。もちろん、私も自己反省を忘れてはなりませんが、同じ業種としてあまりにも酷い製品は見ているだけで腹が立ちます。このメルマガで何度も繰り返していますが、音質と価格は必ずしも比例していません。高いだけの駄目製品に騙されないように、くれぐれもご注意下さい。... 続きを読む

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