逸品館メルマガ033「オーディオ評論家、菅野沖彦邸訪問記」

今週、東京出張の予定があったので、アポイントメントを取って菅野沖彦さんの自宅におじゃましてきました。約3時間、公私の広い範囲にわたって熱の入った雑談を交わし菅野さんの一人の趣味人としてオーディオと車への情熱に触れ若輩者の私など、脱帽の思いです。話の内容は、お互いの立場もあって詳しくはご紹介できないのですが菅野邸で聞かせていただいた「音」について私が述べるのは何ら問題がないと思いますので、私なりに感じた「菅野氏の音」についてお話ししたいと思います。

菅野氏は3種類のシステムを切り替えてお使いだと伺っていましたが、今回の来訪ではあまり時間がなかったのと「何を使われていらっしゃるか?」ではなく「どんな音を出されていらっしゃるか?」が知りたかったので機材については深くお伺いしませんでした。聞かせていただいたシステムは、低域がJBLのウーファー(2255?かなり古いモデルでオリンパスの箱に入っている)、中高域にジャーマンフィジックの無指向性コーン型ユニット、メーカー名は失念しましたがやはり無指向性のスーパーツィーターを使われていらっしゃいました。CDプレーヤーやアンプについては、お伺いしませんでした。

菅野邸のシステムは、過去に何度か雑誌などで紹介されているのでご存じの方がいらっしゃるかも知れませんが、リスニングルームにシステムが仰々しく鎮座しているのではなく、豪華でクラシカルな書斎をイメージさせる部屋の両脇にスピーカーは追いやられ、プレーヤーやアンプも見えるところには置かれていません。あくまでもインテリアの自然さや豪華さを損なわない「脇役」としてオーディオシステムは設置され大量のレコードやCDソフトが主役の位置にあります。

クラシックを2曲と10年少し前にご自身で録音されたJAZZを1曲聴かせて頂いたのですが、音が出てまず驚いたのが「部屋の音」がまったく聞こえないことです。部屋はさほど広くない(たぶん15畳程度)にもかかわらず、変な反射は皆無で重低音ですら嫌な付帯音なしにスーッと消えるではありませんか!その上、音量をかなり上げても音像が崩れずフォルテのエネルギーが殺がれないのは、素晴らしいことです。見かけは、なんの細工もなさそうに思える部屋ですが、非常にデリケートにチューニングされているのがわかりました。その証拠に普段は、メガネを外してオーディオを聞くことはないのですが、このときばかりは自分のメガネの反射音が気になって、メガネを外したほどなのです。

菅野さんに素直に驚いたと感想を述べると、正に我が意を得たりと顔がほころんで「部屋の癖に合わせて丁寧に音を調整している旨」を説明してくださいました。具体的な方法は、お伺いしませんでしたが、その手腕は「さすが」の一言です。

驚いたのは、ルームアコースティックが綿密に調整されていることだけではありません。普通ならスピーカーをこんなに離して、しかも部屋の両端に置くと中央の定位が散漫となり、音場が前後に薄くなってしまうのですが、そんなことは微塵も感じられません。リスニングポジションの前方のお洒落な飾りドアがあるその空間に音像は実に分厚くあたかも、目を閉じると目の前にステージが出現したかのように展開するではありませんか!もちろん、どこにスピーカーがあって、どのスピーカーが鳴っているのかわからないのは、3号館とまったく同じですが、菅野さんはそれを「レーザーセッター」のような文明の利器?を使わずに、すべてご自身の耳だけで追い込まれているのです。それは、まさにオーディオマイスターの本領発揮といったところでしょう。

音質の傾向は、強いて言うなら「モノラルレコード、それもSPを聞いている」かのような非常に濃い音場で、全体的には渾然と鳴っているように聞こえるのですが、分離すべき所はきちんと分離する一種独特な鳴り方をします。私が3号館でならしているような「クリアで明晰なHiFi系のサウンド」とは、まったく逆方向です。


菅野邸のオーディオシステムは、外見こそ部屋のインテリアにとけ込んでいておとなしく感じられるのですが、シンバルの鳴り方や、ドラムの風圧まで体で感じられるフォルテの出方は半端じゃありません。オーディオマニアを驚かすため?あるいは、常に生の音に接していらっしゃるせいか、そのエネルギー感は少し過剰?とも感じられるほどのすさまじいリアリティーが感じられます。シンバルは耳に突き刺さり、ドラムは体を揺するすさまじいエネルギーが発せられるではありませんか!

ご高齢なので(失礼)正直、もっとソフィスケイトされた繊細で細めの音を想像していたのですが、出てくる音はまるで違いました。CDを聞いているのを完全に忘れるほどトーンが濃くDレンジがすさまじく広いのです。そのエネルギーは、とても齢70才を越えられた方の出される音ではありません。私が出す音よりも、確実に元気でそして明るく楽しく、エネルギッシュな音に驚かされたのです。

菅野さんは、車にも相当造詣が深くいらっしゃって、その上運転自体も楽しまれます。フェラーリとポルシェをお持ちなのは、雑誌などで紹介されているのですでにご存じかも知れませんが、菅野さんが今でもサーキットに出向かれること、そして過去には国内A級ライセンスをお持ちだったことはあまり知られていないように思います。そんな菅野さんの姿勢から趣味というのは、コレクションとは違う。道具を通じて、またそれらを使いこなすことによって、自分自身の知識と経験を深め、感性を育み、己を高められる。そんな、一人の趣味人として一本筋の通った主張が強く感じられたのです。


子供のような好奇心を忘れず、それを前向きなエネルギーに変換して人生を楽しみながら生きてゆく。自分が70才を超えたとき、これほどまでエネルギッシュにいられるか自信はありませんが、そうありたい、そう生きたいと痛感させられました。

私が過去長く誤解していた「菅野沖彦像」が「新レコード演奏家論」を読んで「間違いではないか?」と気づき、そして実際に、ご本人に会えて良かったと思います。なぜなら、今のオーディオ業界がどうであれ、それは彼ら先人達の責任ではないと知ることが出来たからです。今までに私が何度も繰り返し、糾弾してきたようにオーディオ業界をおかしくしてしまったのは「金に目がくらんだ」大企業であり、それに追従した心なき商社と販売店の責任です。確かに大手のオーディオ雑誌や評論家もそれに迎合したかも知れませんが、それが必ずしも彼らの本意ではなかったことが疑いようのない事実だと、昨年のステレオサウンド社会長の原田さんとの懇談、今回の菅野沖彦さん宅の訪問で確信しました。

先人達の経験と叡智を受け継ぎ、20世紀に産声を上げ、花開いた「オーディオという新しい音楽文化」を正しい方向に舵取りするのは、今後我々の責任です。i-podのようなプアな音では、とうてい音楽を特にクラシックを理解することはできません。大手企業が発売しているようなオーディオセットでは、幾ら高額モデルでも音楽の深遠を覗くことは叶いません。企業や自己の利益のみを追求して生産し販売される「製品」には「心」も「志」も感じられないからです。


21世紀に再びオーディオを音楽と同等の文化に押し上げるために必要なのは、趣味人としての限りない好奇心と弛まぬ努力しかありません。そして「心」と「志」をその音に練り込んだ「作品」と呼べるほどの「オーディオ製品」が必要です。


道は長く険しかも知れませんが、その道を進むことを恐れる必要はありません。なぜなら先人が成し遂げられた音に触れたことで、すでにその道の先にたわわな果実が結実しているのを知ることができたからです。


歩みはのろくとも、ゴールを目差して共に歩もうではありませんか!

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