投稿者「逸品館代表 清原裕介」のアーカイブ

逸品館メルマガ350「2015年5月22日号」

先週の土日、中野サンプラザで開催された「ヘッドホン祭り2015春」に出展しました。参加されるお客様の過半数は、オーディオフェアの来客のマニア度よりもさらにマニア度が高く、「音楽を聞く装置」としてオーディオをもっと一般的にしたいという私の考えとは、少し違ったイメージでした。今年も秋に東京で開催される「ハイエンドオーディオショウ」に、出展しようと考えています。 ※予定を変更し、今年は「ハイエンドオーディオショウ」ではなく、「オーディオ・ホームシアター展2015」に出展することとなりました。 久しぶりに遠方からオーディオファンの友人が尋ねてきました。彼は回路設計を仕事にしている「プロ」なので、電子回路には詳しく自作もやっています。けれど、彼は「AIRBOWの音はどうしても出せない」と言います。それには、いくつか理由(秘訣)があります。 オーディオメーカーは「歪みの小さい機器(スペックに優れる機器)」を作ります。最新のAIRBOW機器は、「オーディオ機器そのものが、楽器のような美しい響きを生み出す」ことを念頭に音作りをしています。その目的を達成するには、「シンプルな回路」は不向きです。入力される音楽信号に「共振・共鳴」して響きを生み出せる部分が少ないからです。 例えば、電解コンデンサー(ケミカル・キャパシタ)は、それ自体が振動して響きを生みだします。生み出される響きは測定的には「歪み」です。一部のオーディオメーカーは、スペックを改善するために増幅回路からコンデンサーをなくそうとします。そうして生まれたのが「直結回路」です。けれど、こういうシンプルな回路は入力された信号をそのまま増幅してしまうため、ソフトの粗を暴きます。録音に優れた少数のディスクはよい音で聞けても、そうでないディスクは聞けなくなります。 初期のARIBOW製品は、そういう「ストレートすぎる音」でした。「音の良さ」を追求すると、「雰囲気の良さ」が薄くなります。逆に「雰囲気の良さ」を出し過ぎると「解像度(音の細やかさや明瞭度感)」が低下します。そのどちらも高めるのが、私も目指す音です。最高に音が良く、そして最高に雰囲気が濃い音を目指し、ここ数年でそれを実現できるようになりました。友人が聞いた5年ほど前から、現在の3号館の音は相当進化しています。音はさらに細かく、レンジが広くなったにもかかわらず、雰囲気は実に濃くなっています。 彼は3号館で持参した音楽をTAD... 続きを読む

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逸品館メルマガ349「2015年5月1日号」

逸品館を創立した1990年頃は、広告は雑誌広告(紙媒体)が主流でした。当時まだ名前すら知れていなかった「逸品館」は、オーディオアクセサリー、ステレオサウンド、ビデオサロン、HIVIなどを中心とした雑誌広告で全国にお客様の層を広げることができました。けれど、ここ数年広告媒体は紙から電子媒体へと変化しています。さらに電子媒体の中でも、効果的な媒体がどんどん変化しています。 現在、逸品館が広告を掲載している雑誌は「ステレオサウンド誌」だけになりました。他の雑誌広告を止めたのは、効果がほとんどゼロになったからです。その「ステレオサウンド誌」に掲載している逸品館の広告も内容も最初の頃と今では、大きく変わりました。広告を始めた当初は「商品が主役」の内容でした。けれど、インターネットが台頭すると雑誌に掲載する商品情報が掲載される頃には、情報そのものが陳腐化してしまうことで効果がなくなってしまいました。そこで発想を転換し、雑誌には陳腐化しない情報を掲載することにしました。それが現在の「逸品館のコラム」になっています。けれど、この広告のやり方は、敬虔な読者層の厚い「ステレオサウンド誌」だけに通用する方法です。 今回のメルマガは、次号(195号)のステレオサウンド誌に掲載する、広告を掲載します。 ハイエンド・オーディオは生き残れるか? 文化を市場に浸透させるには、コストと時間がかかります。最盛期には様々な企業がオーディオ製品から得られる利益をTV広告や冠コンサートのような形で市場に還元し、音楽再生文化を育ててきました。けれど市場の衰退と共にそういう啓蒙活動が少なくなっています。普通、高度な芸術を理解するには、様々な経験から得られる「審美眼」が求められるのですが、音楽とは不思議な芸術で、本当に良い音楽は「年齢・性別・人種」の垣根を越えて、瞬時に理解・共有することができます。それはあっけないほど簡単で、驚くほど自然な感覚です。 これは「音」というものが、私達のDNAに直接響くからだと思いますが、私はそれを次のように理解しています。人が言語でコミュニケーションを図る前に行っていた、「鳴き声によるコミュニケーション」の名残が音楽であると。鯨やイルカが歌うことと、私達が音楽を演奏しそれを聞くのは同じです。だから良い音は生まれたときから平等に、誰にでも良い音として伝わるのでしょう。そういう観点から「ハイエンド・オーディオ機器」を見てみると、オーディオ機器が奏でる音楽が真に良いものであれば、それは生演奏と同じように「年齢・性別・人種」の垣根を越えて、万人を一瞬にして虜にできるはずです。もし「オーディオの知識を持つ一部の人」にしかその価値が伝わらないのであれば、それには価値がないのでしょう。もしそれが事実ならば「良い音のオーディオ機器」だけが生き残り、そうではない機器は淘汰されるはずです。けれど、そうではありません。そこに見過ごせない、広告の問題があるのです。「音」なしでオーディオ機器の良さを伝えようとすれば、音を文字で表現しなければなりません。けれど文字にできない感動を音に変えて伝えるのが音楽なので、本来それを文字に変えることはできないのです。文字で表現できるのは、契約や計算のような「定量化できる情報」です。音の良さや味わい、あるいは健康や幸せのように「不定形の情報」は文字では正しく伝えにくく、また受取手には情報の真偽を検証する手段もありません。 音の評価に話を戻しましょう。音の良さを的確に伝えるためには、それを何かに置き換えて伝えるしかありません。説明するのではなく、何らかの「イメージ」に置き換えてそれを伝えるのです。そのためには、著者が相応の創造力を駆使して文章を書かねばなりません。書かれた音のイメージは、読者の創造力を正しくかき立てるものでなければなりません。芥川賞作家であり、同時にオーディオ評論家でもあった「五味康祐氏」を例にあげるまでもなく、過去に名を残したオーディオ評論家は皆「名作家」でした。オーディオの芸術性、音の良さを伝えるには彼らのような高い文章能力を持つ評論家による、芸術的な評論文が必要です。 他方、オーディオの良さを数字に変えて表現する方法があります。スペックや新技術を解説するのは、オーディオの芸術面を評価するよりも遙かに容易く、より大きい数字を羅列すれば良いだけです。けれど、企業は文化を育てると共に、そういう方法で大衆を欺いてきました。最近盛んに取り上げられているハイレゾ、DSDの高音質は、オーディオ製品の芸術性(音楽性)とまったく無関係です。ステレオサウンドの読者皆様には釈迦に説法ですが、音よりも重要なのは、音楽性の高さです。どんなに良い音でも、心を打つ音楽として再現されなければ人は満たされません。市況が悪くなれば刹那的な利益追求のため、次々と意味なき新技術を投入して買い換えを煽る。それに寄生する広告媒体が、平気で人を欺く。音楽再生文化を生み出した企業やメディアが、今「音楽」から力と輝きを奪っているではありませんか。 DSD11.2MHzについて、こういうニュースもありますが、私はオーディオを「音楽を嗜むための手段」と考えています。高音質を求め、それを実現するための様々な技術やノウハウを探求しますが、追い求めるのは理想的な音楽再生であってその主軸はぶれません。それは機械を買ったときに得られる喜びよりも、より感動的な音で愛聴盤を聞けたときの感動が比べものにならないくらい大きいからです。 ... 続きを読む

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逸品館メルマガ348「2015年4月11日号」

桜の花が咲いたと思ったら、いきなり真冬に戻ったように雪が舞いました。この冷え込みは「花冷え」。最近雨が良く降りますが、その雨は「花の雨」。このような、季節にまつわる言葉が日本には沢山あります。その言葉の端々に、カラリと晴れた心地よい日も、冷たい雨が降る日にも「風情」を感じながら、楽しんできた先人の知恵を感じます。また、世界でも例を見ないと言われる、日本人の勤勉さや繊細さは、この明確な季節の変化と結びついているのではないでしょうか。 春霞、抜けるような秋の青空。それぞれの季節は私達に時を鮮やかに印象づけます。季節が明確であればあるほど、人は時の流れを強く実感するでしょう。その「季節の区切り」が人を変化させ、また成長させるのでしょうか? 時間の費やし方は人それぞれです。ゆっくりと噛みしめるように時を過ごすも良し、何も考えずただ流れに任せるも良し、あるいは一秒たりとも無駄にしないように頑張るのも良し。けれどそういう季節との触れあいや、朝晩の区切りさえ不明瞭な都会の不夜城で人は、健康で前向きにいられるのでしょうか? 生まれるところは選べないけれど、死ぬところは自分で選べる。それが究極の自由でしょう。自分の生き方、時間の使い方は、誰のものでもなく自分だけのものなのですから。 ... 続きを読む

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逸品館メルマガ347「2015年4月3日号」

みなさま、こんにちは。昨日、WEB(MSN)で「幸せになる方法」と言うページを見つけました。この手の情報は、山積しているので何を今更の感もありますが、簡単に紹介したいと思います。 「幸せの定義を決めるのは本人の脳のイメージ」これもありふれた話で、要約すると本人が「幸せ」と思えば、幸せを感じるという簡単な論理です。要するに、その人が幸せか不幸せかは周りの環境に左右されるのではなく、その人自身の考え方次第ということです。けれど、これがなかなか難しい。 「幸せを感じるためにすること」毎日、3つの幸せだったことを「ノートに書く」。これを20日続ければ、だんだん幸せな気持ちになってくる。考えることを「書く」。そしてそれを「続ける」というのは、とても大切なことだと思います。自分で自分を「洗脳」するのですが、強制されるのではないからそれで自分が変われるなら、ベストだと思います。 このように、一般的に紹介されている「幸せになる方法」のほとんどは「考え方を変えなさい」という事です。けれど、この「考え方を変える」事ができないから人は悩むのでしょう。考え方が簡単に(柔軟に)変えられるなら、苦労しません。 けれどもっと簡単に「幸せになる方法」があります。「良い音(良い音楽)」を聞くことです。 人間の脳と音は、とても密接に関連しています。極端な例では、ある種の音波を長時間浴びせると、人は狂うことがわかっているくらいです。 音波(音)は、直接感情に触れ、私達はそれを拒否することができません。 だからこそ、毎日良い音を聞き続けるだけで、心が和み癒されます。だからこそ、オーディオ機器は十分に吟味してお薦めしなければならないと考えています。 ... 続きを読む

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逸品館メルマガ346「2015年3月21日号」

私の通勤途中や自宅周辺には桜が多いのですが、面白いことに毎年「一番先に満開になる木」は決まっています。日当たりが違うのか、その木の気が早いのか、真っ先に見事な桜花を身体いっぱいに纏います。そしてその桜が満開になるのを見ると、毎年心が温かくなり、自分が自然と共に生きていることを実感して、少しほっとしたような、なんだか幸せな気持ちになります。 アウトドアが好きな私は、暖かくなってくると外に出かけたくてワクワクします。2月と3月は、一度ずつ和歌山の「海上釣り堀・紀州」に出漁しました。気温の上昇よりも海水温の上昇は遅いので海の中の季節は「2ヶ月遅れ」と言われます。 変温動物の魚は、ちょっとした温度変化にとても敏感です。魚にとっての海水温度の変化は、人間の気温変化の何倍にも比例すると言われています。海水の0.5度の変化は、気温の数度に相当します。海の中は、今が一番の「厳寒期」なのです。こういう季節の魚釣りは、魚が活動するかしないかぎりぎりの水温なので、釣果が安定しません。水面付近と、海底付近のどちらが暖かいのか?暖かい海流はどちらから流れ込んでいるのか?ちょっとしたポイントの変化で、釣果が大きく左右されます。今回の釣行はどちらも、天候と運に恵まれ「大漁」の結果を出せました。2月11日の釣行写真3月21日の釣行写真 手に持っている「Wild... 続きを読む

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