A&V village(エーアンドヴィ ビレッジ) 67号「閉ざされた時間・開かれた時間」

「人はパンのみにて生きるものにあらず」キリスト教の信者でなくとも一度くらいはこの言葉を耳にしたことはあるはずだ。それは、「生きるためには無駄も必要である」という意味なのだろうが、「趣味」という「無駄」は時として人生をとても豊かにしてくれる。
「趣味の世界」では、生きるために必要な「必然性というプレッシャー」から解き放たれているので、人は「夢見るかのごとく柔軟に物事を考え」イメージの世界で遊ぶことが許される。例えば「オーディオ」と言う「趣味の世界」で間違いやミスを犯しても、給料は下がらないし、強く叱責されることもない。実害があるとすれば、お小遣いがちょっと減って懐が寂しくなる位のものである。逆に言うと「それくらいの実害で収まる程度」こそ「趣味」と呼べるのであって、人生の大半の時間や稼ぎをそれに突っ込むのは、もはや完全に行き過ぎであるし、周囲を気にしたり、あるいはないがしろにしながらでなければ、趣味を楽しめないという状態も、はっきり言って「異常事態」だと私には思える。
人間は「イメージの世界に生きる動物」である。実世界に生きているようで、実はそうではない。世の中の大半の事柄なんて「考え方次第」で180度変化する。「難しい局面」に遭遇したとき、それを「嫌なこと」と考えて避けても良いし、逆にそれを「自分を鍛える糧」と考え「自分を磨ける」と喜んでチャレンジするのも良い。要するに「人生を消極的なもの」にするのも「積極的なもの」にするのも「その人の考え方次第」だと思うのだ。
「趣味」に対する考え方も全く同じであってよいと思う。否、趣味の世界では「必然性というプレッシャー」から、解き放たれているからこそ「より柔軟かつ積極的に物事を考え」て良いし、失敗を恐れず「自分の力(考え)を100%試す」ことが可能になる。意見が真っ向食い違っても「趣味の場」なら実害はない。その場で少々気まずい思いをかみしめても、「確固たる相互理解にいたるワンステップ」にすぎないと考えれば、それも「よし」とできる。「積極的」に行こう。「積極的に時間」を楽しもう。「時間」が容易く手に入る今、私たちに大切なのは「無駄」を「意義」に変える「工夫」を楽しむことのなのだから。

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