AudioAccessory(オーディオアクセサリー) 117号「「聞くべき音」と「聞かざるべき音」」

ここ10年の間に、オーディオ機器の売り上げに反比例するようにオーディオアクセサリーが爆発的に売れている。少し前では、考えられなかったような高価なケーブルやインシュレーターボードなどが雨後の竹の子のように登場して、あるものはヒットし、あるものは淘汰されて消えている。たぶんオーディオアクセサリー誌に掲載されているアクセサリーの平均価格を計算すれば、この10年間でのインフレ率はおそらく驚くべきものになるのではないだろうか?と想像する。しかし、さすがにここ数年はアクセサリーのインフレも収束し、10万円を越えるほど高価なアクセサリーの売り上げは減少傾向にあるように感じているが、それは高額アクセサリーの購入が同道巡りで、結局音質向上に結びつかなかった結果ではないかと推測する。
例えば、あなたがオーディオアクセサリーを購入する動機は何だろう?端的に「音を良くするため」に違いないと思うが、しかし「それまで聞こえなかった音が聞こえるようになった」からといって、それは「音が良くなった」と言えるわけではない。オーディオとはそれほど単純なものではないのだ。
私たちが日常聞いている「音」は、オーディオ機器から再生されるような「純粋な音」ではない。いろいろな音が「多種多様、雑多に混じり合って」構成されている。電話で話をしているときもそうであるし、町中で話をするときもそうである。私たちが住んでいる環境は「様々な生活ノイズ」で溢れていて「純粋な音源が単独で聞こえる」ことなど実際にはあり得ない。そういった「様々なノイズ」の中から「必要な音」を聞き取れるように聴覚は進歩し、そういう音響分析にかけては下手な測定器など足元にも及ばないほどその働きは優れている。
聴覚による「ノイズ」と「信号」の高精度な分離と同時に、失われた(ノイズにより損なわれた)「信号」を「復調(復元)」しているのが「脳」である。私たちが「音」として感じているものは、実は「耳に入った音」ではない。音だけではなく、私たちが「現実」として感じているものも実は現実ではなく脳が生み出した「イメージ」に過ぎない。その証拠に、私たちは「夢」の中でも「物を見たり、感じたり、音を聴いたり」するが、その時目は閉じているし、耳にも音は入っていない。では「夢」と「現実」の違いは何だろう?それは、「夢」が記憶という「自分の中の情報」からのみ構成されるのに対し、「現実」は「5感から得られた外部からの情報」が加わって構成される部分に違いない。もしあなたが「夢」の中で会話を交わすとしても、それは決して「あなたの知らない言語」ではないはずだし「聞いたことのない音」も夢の中では決して聞こえないはずだ。それは、言い換えれば私たちが聞いている音には、少なからず「記憶(過去の経験)が反映されている」という証明でもある。
同じCD(音源)を繰り返し聞けば、音はまったく変わらなくても「1回目より2回目」の方が確実によい音に聞こえることをご存じだろうか?それは「1回目」に聞いた音を脳が記憶し、「2回目」に聞くときにはその記憶によって「音の不完全な部分」を補完しているからであるし、また「1回目」の経験によって「聞き所」を把握しているため、同じ音をより「明確」に聞き取れるからでもある。さらに、同じ音を3回以上繰り返し聞くと、脳が音をほとんど憶えてしまい「耳が馬鹿(使い物にならなく)」になる。この事実を認識した上で「聴き比べ」を行わないと、あなたは一生懸命聞いているつもりでも、まったく「比較」が出来ていないことになる。
だから、音の聞き比べに際しては「同じ音を3~5回以上繰り返し聞かない」。また「音を長く聴かない(最長でも10秒程度が限度、それ以上になると最初に聞いた音を忘れてしまい聞き比べにならなくなる)」、「長期間聞き比べを続けない(脳が疲労し聞き比べの精度が激減する)」などの配慮が必要になる。しかし、こんな簡単な「医学的(心理学的)」事実でさえ、この業界のメーカーやユーザー、メディアなどはまったく認知していないように思える。あるいは、認知していたとしても自分にとって不利益があって口をつぐんでしまう通例に従っているかのどちらかだろう。私もご多分に漏れず、最初はそういう「記憶」や「経験」が音の聞き分けに重大な影響を与えていることに気づかずにいた。さらに「視覚」や「嗅覚」、「触覚」、「味覚」などの「聴覚以外の感覚器官」も音の聞き比べに大きな影響を与えているという事実も認識すべきである。音はまったく同じでも、部屋の温度や色彩で音質は違って聞こえるのだ。(明かりを落とすと音はより鋭敏に聞こえるようになる)
今では、そういう事実を受け入れ、自分なりに工夫と配慮を行った方法で聴きの聞き比べを行っているから、大きな間違いはないと考えている。そしてその経験の中で培ったのが「聞くべき音だけを聴く」という方法である。もう少し詳しく言うなら「音楽を感じるために必要な音の成分だけに限って音を聴く」ということである。高音や低音、特定の楽器の音や物音などにピントを合わせて「集中して聞く」というやり方は、私の経験では明らかな間違いである。それよりも「様々な音のバランス」が「保たれているかどうか?」に集中して聞く方が良い。そういう意味では「音楽」よりも「ライブの拍手」のような「意味のある音(楽器の音ではない)」を中心として聞き比べを行う方がやりやすいと思う。大抵の比較なら「ライブの開幕から最初の一小節が奏でられるまで」で事足りる。極論を述べるなら、複数のディスクを使う必要すら感じない。ライブが開幕してミュージシャンが登場するまでの「観客の気配」、そしてミュージシャンに向けられた「拍手の性質(明るい、暗い、期待、不安などの気配)」、ミュージシャンがライブの最初に出す音に込めた「想い」それらを複合的に聞き分け、そのバランスから「情景(気配)」を組み立てるだけで、比較試聴のほとんどは終わってしまう。その「雰囲気」がよりドラマティックに、より自然に感じられ、音ではなく気配がより深く明確に(ジンジンと)伝わる音が本当によい音である。聞き比べに際して、自分の主観など差し挟んではならない。
どうだろう?オーディオショップでの機器選定や家庭での音質改良の結果に対し、もっともフェアで敏感に反応するのが女性パートーナーや子供であると言われることがあるが、それは彼らが「不要な先入観を持たない」ためであるし、「価格や雑誌の批評などよけいな前情報」がないためでもある。これらの「自然体」での試聴に加え、私は「アコースティック楽器の音によるテスト」を追加する。例えば「ギター」などの物理的に音が出る楽器は「物理学の法則に従わない音の出方」をしない。つまり、弦に爪が触れた部分から「分割共振」が発生し、その振動が広がるに従って分割共振はやがて緩やかな「往復運動」へとお決まりのプロセスを非可逆的になぞらえて、決して逆の動きはしない。さらに弦の振動や弦が発生した音波は「ギターのボディー」で共振、増幅され「新たな音」を作り出す。そして、楽器は「全体が鳴り出す」のだ。この物理的なプロセスは完全に「天然自然の法則=物理法則」に従って進行し、一切の「時間的な揺らぎ」や「不規則な音の変化」は発生しない。つまり「楽器の物理的な発音プロセス」を正確に聞き分け、トレースすることで「オーディオ機器から発生している音が自然であるか、不自然であるか」を非常に高いレベルで判別できるのだ。また、この聞き分けには「主観がほとんど入らない」ため「客観性の高い正確な判断」が可能となる。
以上のようなテストと開発を行って誕生した逸品館オリジナルのAIRBOWは、機器のみならずアクセサリーにおいても音楽ファンはもとより音楽家からの評価が非常に高く、複数の音楽家から音楽が非常にわかりやすいばかりではなく「採譜」にはAIRBOW以外考えられないとの評価を頂いている。自分が作ったから、自社の製品だから言うのではない。つまらない「音変え遊び」に終止符を打ち「本当によい音」を出したいとお考えなら、一度AIRBOWのアクセサリーをお使いになられることをお薦めする。価格は安くても、決して後悔させない自信がある。

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