「社長のうんちく」カテゴリーアーカイブ

A&V village(エーアンドヴィ ビレッジ) 67号「閉ざされた時間・開かれた時間」

「人はパンのみにて生きるものにあらず」キリスト教の信者でなくとも一度くらいはこの言葉を耳にしたことはあるはずだ。それは、「生きるためには無駄も必要である」という意味なのだろうが、「趣味」という「無駄」は時として人生をとて … 続きを読む →

カテゴリー: A&V village, 社長のうんちく | タグ: , , | コメントする

AudioAccessory(オーディオアクセサリー) 112号「ピュア・オーディオとは?」

ピュア・オーディオが斜陽になっている。オーディオマニアのイメージがジメジメして、しかも理屈っぽい「根暗系オタク」の代表になりつつある。ピュア・オーディオをより深く音楽を聴く手段とする「正統派オーディオファン」のお客様の心 … 続きを読む →

カテゴリー: Audio Accessory, 社長のうんちく | タグ: , , | コメントする

A&V village(エーアンドヴィ ビレッジ) 66号「趣味としてのオーディオ」

「五味康祐」という「オーディオ読本の著者」をご存じだろうか? 作家であり、人相学者であり、日本一と言われたオーディオフリークだった。彼がオーディオについて書き記した著書を読むと、たぶん「趣味としてのオーディオ」がすべて分 … 続きを読む →

カテゴリー: A&V village, 社長のうんちく | タグ: , , | コメントする

STEP5 ゴール

オーディオのゴール 安価な機械から「驚くほどよい音」を出せる人もいれば、高価な機械から「つまらない音」しか出せない人もいる。高価なシステムを聴いても、全く感動しない人もいれば、ラジカセから流れる音楽に涙する人もいる。オーディオから「出せる音質」のすばらしさ、オーディオから「受けとれる感動」の大きさは「価格」に比例するのではなく「人の感性の豊かさ」と比例する。 「音楽」を聴きたいのなら「コンサート」に行けばよい。「音楽」を演奏したいなら「楽器を習え」ばよい。しかし、それは誰にでもできることではない。「オーディオ」は、音楽を演奏できない人の「音楽の表現手段」であり、音楽を演奏できなくても「奏者と同じように音楽に携わることを可能にする」素晴らしい「道具」なのだ。 「人の感性」は、「金」では買えない。一朝一夕にも磨かれない。水のしずくが岩に穴を穿つように「長い時間」続ける気力と努力のみが「感性」を熟成する。 「オーディオ」は難しく「無駄」も多いが、その「難しさ」や「回り道」が「あなたの感性」を磨く。 「オーディオ」を通じ「音」や「音楽」を考えること。「音」や「音楽」を「媒介」として「多くの人と交流」することが「あなたの感性」を磨く。 様々な機器を試し、様々なセッティングに挑戦することが「あなたの感性」を磨く。「近道」はない。... 続きを読む

カテゴリー: 社長のうんちく | コメントする

STEP3 錯聴

錯聴 聴覚に起きる「錯覚」を「錯聴」と呼ぶ。この錯聴の実際例をあげてみよう。携帯電話の効率的な音声圧縮方法を探るため、NTTが行ったノイズによる「錯聴」の検証実験だ。 まず、人間の音声を録音する。再生時に、断続的に音声を消去し「無音部」を設けると、「音声」はとぎれとぎれなる。「無音部」を増やしたり、間隔を長くすると、「音声」は徐々に取りづらくなり、最後には「言葉」として聞こえない、単なる「音の羅列=ノイズ」になってしまう。そのままの状態で「無音部」を「ホワイトノイズ」で置き換えると「言葉」としてすら聴き取れなかった「音の羅列=ノイズ」が、よみがえって「とぎれがちな会話」として聴き取れるようになるというのだ。 「ノイズの存在」を「認識」することで脳は、無意識に「ノイズに隔てられた二つの音を関連づけて聴こう」とし「存在しない音をイメージとして作りだし」切れ切れになった「言葉」を繋ぐのだ。その結果「ノイズ」にしかすぎなかった「音」が「言葉」に聞こえるようになる。 つまり、「無音」が「ノイズ」に置き換わったことで「無音」に隔てられた「意味を持たない別々の音」から「ノイズ」に埋もれた「つながりのある会話」と認識が切り替わることによって「錯聴」が引き起こされるのだ。この「錯聴」は、上の「だまし絵」で「視覚に置き換えて確認」できる。 まず、下の絵の「薄い色の部分」だけを見て頂きたい。「薄い色の図形」からは何も読み取れない。次に「色の濃い部分」だけを見て頂きたい。そこには「LIFE」という文字が読み取れるはずだ。 「脳」が「取捨選択する情報」を切り替えたことによって「結果として得られる情報=認識されるイメージ」が変わってしまうことが「視覚」で証明できる。そしてこの「情報の取捨選択」は直前の「記憶」と密接な関連がある。 どちらにしても「記憶」と「認知」には密接な関係があることは、疑いようがない。 繰り返し聞くと音は良くなる 「だまし絵」をいったん「LIFE」と認識してしまうと、「LIFEが読み取れない状態」に戻るのは難しい。それは、いったん「記憶」として「情報が取り入れられる」とその「記憶」が「その後の認識」に強い影響を与えるからだ。 「音の聞こえ」も同様に「直前に聞いた音」によって「その直後に聞く音」の「聞こえ方に大きな差」が出る。CDの同じトラックを何度も聞き返すような試聴を行うと、たぶん「何度目か以降は音の違いが分からなくなる」はずだ。それは「聞き返すこと」で「脳が音を記憶」し「後で聞く音を記憶で補完」するからである。 つまりこういうことだ。「聞こえる音が不完全な音(悪い音)」であっても「事前に聞いた音の記憶」が「不完全な部分を埋める」ため、聞き返せば聞き返すほど音は「完全な音(良い音)」に聞こえてしまうのである。 集中して「同じ音」を複数回試聴すれば「一度目に聞いた音」よりも「回数を重ねて聞いた音」のほうが良い音に聞こえることに気付くだろう。 この「記憶のいたずら」を利用すれば「店頭や試聴会での機器の音質優位性の操作」を行うことも不可能ではない。「より良く聴かせたい装置(商品)」を「後で鳴らせばよい」し、一度目と二度目の間に「短いセールストーク」を行って「二度目の試聴の集中」を高めておくことに成功すれば、よほどのことがない限り「二度目の聴いた装置が悪く聞こえる」ことはない。 努々「悪徳業者」の「巧みな罠」に嵌らないよう注意されたい。 思いこみでも音は変わる 「錯覚」は「記憶」だけではなく、「思いこみ」でも引き起こされる。それは、次の図形を見るとよく分かるはずだ。 上下の「直線」の「長さは等しい」が、直線の左右につく「矢印の方向」で「長さが違って」見える。有名な「だまし絵」の一つであるが、物差しで測ってみないことには「直線の長さが同一だとは納得できない」ほど、強い「錯覚」を引き起こす。 更に、もう一つだまし絵をご覧頂こう。 上下の線は「平行直線」であるが、「曲がって」見える。このような「だまし絵」は数多く存在し、例を挙げれば切りはないが、人間は無意識に「比較」して「認知」を行うため「比較対象」により「認知すべき対象にゆがみ(違い)が生じる」という実例である。 この「錯覚」は「記憶」とは無関係で、いわゆる「思いこみ」による「錯覚」である。当然、「音を聞く」ときにも、思いこみによる「錯聴」は引き起こされる。これらの「だまし絵」のように「避けられない錯覚」もあれば、先ほどの「LIFE」のように「意識的に認知を切り替える」ことにより、かろうじて「錯覚」を回避できることもあるが、どちらにしても機器の試聴を行うときには、「思いこみ=先入観」を捨てることが大切だ。 先入観がいかに「聞き取れる音質に影響を与えるか?」それを知る良い事例に、私の失敗談を挙げよう。 S/Aロジックのサブウーファーを導入して間もない頃、私は必死に「最適な音量」を得るために「聞こえない低音」に耳を澄まし、システムの調整を行っていた。 (実際、S/Aロジックのサブウーファーは、高域がデジタルで急峻に遮断されているため「耳に聞こえない低周波」だけが再生されるため、よほどの音量でない限り、ウーファー単体の音が聞こえることはない) ボリュームを何度もセットし直し「ここが一番音が良い!」というポジションを探し出してほっと一息ついたとき、サブウーファーを鳴らすパワーアンプの電源が入っていないことに気づいて愕然とした。サブウーファーからは音が出ていなかったのだ。 がっくりと肩を落としてS/Aロジックの村田さんにその結果を伝えると、マスタリングに際しても「イコライザーがバイパスされていて、つまみを回しても音が変わらないのに気づかず、イコライザー調整を必死でしていた」という複数のエピソードがあると慰められ「思いこみによる、音の聞こえ方への影響の強さ」を身をもって知る良い経験となった。 さらに、後日このとき調整に使っていたソフトに低音が収録されていなかったことが判明し、「明確でない音質差」に対しては「常に謙虚かつ懐疑的であること」が教訓として残った。試聴に際しては、できる限り「客観的」かつ「懐疑的」であらねばならず、自分自身の耳さえ「過信」しすぎてはいけないのである。 試聴に「測定器」を用いることは「強い先入観」を生みやすく、基本的には賛成できないが、「耳ではわかりにくい場合」には、逆に「測定器」を積極的に用いることで「じゃまな先入観」を消すこともできる。双方をうまく使い分けることが大切だ。 ... 続きを読む

カテゴリー: 社長のうんちく | コメントする