-
最新の投稿
-
女子部はみんなFF派!ファイナルファンタジーXIII
「オーディオ」タグアーカイブ
AUDIO BASIC(オーディオベーシック) 54号「スモールオーディオの薦め」
私たちは、オーディオ製品の中で特に高額な製品を“ハイエンド・オーディオ”と呼びますが、オーディオベイシック誌は“スモールオーディオ”という言葉を好んで使います。この言葉には、「価格で音楽を聴く楽しみを決めてはならない」という編集部の確固たる意志を感じ取れますが、私もまったく同感です。なぜなら、オーディオの楽しみは自分のセットから「望みの音を出す」ことで「より良い音」を出すことではないからです。 そう考える逸品館は、ハイエンド・オーディオを扱うオーディオ専門店としては例外的に「低価格の製品」にも力を入れています。そうして生まれたのが、低価格でハイパフォーマンスの実現を目差す逸品館のプライベートブランド“AIRBOW”です。その考え方は非常に合理的です。自社生産が有利なアクセサリーはオリジナルで製造し、少量だと安く作れない機器類は自社生産にこだわらず、メーカー製品をベースに改良を加えた「カスタマイズモデル」をご用意しています。AIRBOWがカスタマイズモデルと名付けた「改造品」と他店の改造品との根本的な違いは、AIRBOWがベースモデル・メーカーと「協力体制」を確立している所にあります。常にお客様の利益を考える逸品館のAIRBOWカスタマイズモデルは、改造品でありながら製品とほとんど変わらないアフターサービスを受けられる上に保証期間も24ヶ月に延長されています。 安いものから高いものまで手を抜かない。この逸品館の営業方針は、音楽好きな社長と社員全員、そしてお客様との心の繋がりによって実現しているのです。 ... 続きを読む
StereoSound(ステレオサウンド) 173号「夢見る力」
子供の頃、心は夢で溢れていましたか?大人になって現実を知り、夢は破れましたか?人は皆、未来を知りたがり、まるで未来を知る能力を与えられたかのようにそれを予想します。人が未来を知りたがるのは、自分が手に入れた「価値」が変わるのを恐れるからです。しかし、すべての物には絶対的な価値などなく、変化し続ける社会の中で価値観は相対的に変化を続けます。人には一瞬先の未来を知る力さえ備わらず、あきれるほど早く変化する「今」でさえ、それを知る術を持ちません。今日の常識が明日には通用しなくなる。それが、私たちの住む世界です。 ... 続きを読む
AUDIO BASIC(オーディオベーシック) 53号「アップサンプリングによる音質改善」
2009年秋のハイエンドショウトウキョウでは、春に引き続き“アップサンプリングによる音質改善”をデモしました。アップサンプリングとは、CD(だけではありませんが)の音声デジタル領域でより細かなデーターに変換してからアナログ化する技術です。東芝が「普通のDVDがハイビジョン画質になるテレビ(HDDレコーダー)」を宣伝していましたが、考え方としては同じです。 アップサンプリングを行わないと高域がざらついたり、音が濁るなどの問題が起きることがありますから、CDに搭載されているDAコンバーターチップでもアップサンプリングを行います。CDをPCに取り込んでから、PC内部でアップサンプリングを行うと、CDをそのままCDで再生するよりも音が良くなるのです。 理由はいくつか考えられます。リアルタイムを要求されないPCでは、CDの読み込みで何度もやり直しできるので“データーエラー... 続きを読む
AudioAccessory(オーディオアクセサリー) 135号「“今冬” 注目の新製品」
毎年、この時期から年末にかけて「ランキングラッシュ!」が始まります。そもそも「ランキング」とは何のためにあるのでしょう?答えは単純明快「売るため(宣伝広告のため)」です。お考え下さい。もし「本当に良いもの」がたった一つだとしたら?特定の製品に注文が殺到したら、他の業者は「廃業」しなければなりません。業界の安定を考えた場合「一人勝ち」は危険です。逆に考えるなら「一人勝ち」を許さない、広く浅い「適度に混乱した情報を振りまくことで消費者を煙に巻く」ことが、経済効率が一番高いのです。 話を次に進めます。私たちが製品を購入するときは「まず予算」を決めます。決めた予算に近い商品から検討を開始し、判断材料が揃ったら購入を決めます。この時の大前提は、「価格と性能/品質は比例する」ことです。高級品、すなわち価格が高いものは、安いものに「負けてはならない」という宿命があります。当然、宣伝広告でもっとも守らなければならないのは、この「価格と性能のヒエラルキー(上下関係)」を壊さないことです。 ここで話を少し変えましょう。健康食品がブームになって久しいですが、それらの広告を考えてみましょう。健康食品のコマーシャルには「この食品を使っていたから健康を保てた」という、年齢の割には若く見え、健康そうな人が必ず登場します。健康という結果を見せて、その過程を肯定するやり方です。タレントの「生い立ち紹介」も同じようなものです。麻薬がらみの犯罪に手を染めた、タレントがいたとします。マスコミは、そのタレントの見かけと結果を結びつけ、特定の写真(可愛く映っている、もしくは犯罪者のように写っている)を何度も繰り返し報道することで、民衆(大衆)に「特定のイメージ」をすり込んで行きます。マスコミが断片を継ぎ合わせて作った「架空のイメージ」で私たちの考えは汚染され、誘導されます。これがマスコミュニケーションにおける「報道の真実」です。そして、私たちはそれにまんまと騙されます。繰り返し報道されることで、私たちは多かれ少なかれ、「ありもしないことを真実(事実)」と思い込まされるのです。 話を元に戻しましょう。論点は二点です。一つは、報道や広告は少なからず誇張、改変されたものであり「100%信用できない」ということです。これはわかりやすいと思います。もう一つは、「人間は結果から方法の可否を判断する」ということですが、これについてはもう少し説明しましょう。例えば「育て方」が全く同一の人間が二人いたとします。一人はヒーロー(英雄)になり、もう一人はヒール(悪者)になったとします。私たちは、ヒーロー/ヒールという「結果」から、「育て方」が成功であったか失敗であったかを「決めつけ」ます。そして、次第に「育て方」が同じであれば、「結果」も同じになると考えるようになります。しかし、それは非常に短絡的で危険な考え方です。「育て方」にすべての責任を押しつければ、自分には責任がなかったかのように錯覚するからです。自分の中に原因を求めなければ、成長はありません。成長がなければ、成功もあり得ません。たまたま上手く行ったことにこだわっても、次の成功はないのです。 この問題をオーディオに当てはめて考えましょう。特定の製品や技術・材料などを使ったとき「たまたま良い音」が出せたとします。良い音は、それと同じ「製品・技術・材料」があれば出せると思い込むようになります。しかし、その時出た良い音は「ある種の組合せ(部屋やソフト、体調も含めたあらゆる環境)」が生み出したものであって、けっして「選んだ製品やアクセサリー」の効果ではありません。 再び最初の話に戻りましょう。広告は「結果」から、商品がよいと導き出します。ランキングが高い商品は良いと導かれます。でも、そこには「ひとかけらの真実」すら、存在しないかも知れないのです。過去の名器へのこだわりも同様です。特定の機器や技術・材料などに執着し始めた瞬間から、良い音が出せなくなってしまいます。大切なのは、自分の耳を疑わないことです。 「雑誌にあまり掲載されることがない、逸品館のお薦め商品」の一部には、「30~60日のお試し期間(返品可能期間)」を設けています。前評判や噂よりも「お客様ご自身の耳で判断頂くこと」が、何よりも大切だと考えているからです。ご購入後の「良い音探し」のお手伝いも、可能な限りお付き合いさせて頂きます。 ... 続きを読む
StereoSound(ステレオサウンド) 172号「オンリーワン」
長い地球の一生、宇宙の時間から比べると、一年なんて本当に一瞬のことです。その一瞬のさらに小さい季節の出来事に、一喜一憂しているのが私たちです。私がオーディオ販売を生業としたのは、販売する商品の金額にかかわらず、お客様に心からの喜びを感じて頂けることが一番大きな理由です。とはいえ、経済社会の中で自分の主張を貫き通すためには、ある程度取引額を大きくしなければなりません。20年少し前にゼロからスタートした逸品館は、現在西日本で最大級の売上規模にまで成長しました。ハイエンドショウトウキョウ・アンケートの「最も興味深い出展社」で3連覇を達成するなど、注目度も高まっています。それらはすべて、お客様のお蔭があってのことと深く感謝しています。 お客様に恵まれて逸品館は成長しましたが、私が目差すのは「No1」ではありません。逸品館設立の目的を貫くためには、自分が今何をしているのか?お客様のために、今何をすべきなのか?それを明確に感じられる規模を保たねばなりません。自分たちの力以上に組織を肥大させ、サービスの質を低下させたくないのです。 生来が負けず嫌いの私は、人に負けるのが何よりも嫌いです。だからこそ、No1を争う無意味さを知っています。どんなに勝ち続けても上には上がいますし、自分よりも上があると知った瞬間にそれまでの自分の価値や満足感はゼロになってしまうのです。富士山が一番高い山だと思いそれを征服して有頂天になっていたら、それよりもずっと高いエベレストがあると知ったときの登山家の気分です。高い山を征服すれば征服するほど、それより高い山を見つけて登って行かなければならない。決して満足することなどなく、登り続けなければならないのが「No1」を目差す生き方です。元気があれば、その喪失感・絶望感をパワーに転換することもできるでしょうが、人間の寿命は限られていてピークを迎えた後は必ず下降します。今人々は、なぜこれほどまでに強く「No1」を目差すのでしょう?登り切ることができない道を、命尽きるまで登り続けようとするのでしょう? 私自身、そういう生き方をしてしまうタイプなので、それを否定することはできませんが、少し価値観を組み替えれば、違った道が見えてきます。それが「オンリーワンを目差す道」です。残念ながら、No1に最大の価値を求める経済(一部の富裕層)に牛耳られる現実社会の中では、オンリーワンを貫くことは時として脱落を意味します。人に負け犬と呼ばれても、オンリーワンを貫き通す強い心が持てればよいのですが、その強さは私にはありません。No1とオンリーワンのせめぎ合いの中、かろうじてバランスを保っています。しかし、現実と切り離された「趣味の世界」では、オンリーワンの価値観を貫けます。例えば「魚釣り」は私の趣味の一つですが、「釣り上げた魚の数や大きさ」ではなく、「どのようにして釣り上げたか?」あるいは「人と違う方法で釣り上げたか?」により大きな喜びを見いだすことが許されます。 オーディオやシアター製品を選ぶとき「価格」で製品を選んではいらっしゃらないでしょうか?No1に最大の価値を求める世界に染まりすぎると「価格=性能=満足感」だと誤解することも多いのですが、価格と満足度は一致するものではありませんし、本来趣味の世界ではそれが一致してはならないのです。同じ製品を使っても工夫次第で「より良い音」「より良い映像」「より深い感動」を取り出せます。人と比べる必要など何もありません。何が一番売れているかとか?何が一番高額製品だとか?誰が一番安く買ったとか?そういう「背比べ」は、一切無意味です。逆に、そういう「背比べ」を否定することから、より深い趣味の味わい方が広がると思えるのは、私がひねくれているからでしょうか?でも私が代表を務める逸品館は、そういう変わり者的な趣味のあり方を応援します。 「魚釣り」と共に「カート・レース」も私の趣味の一つです。スプリントレースは、単純にNo1を競うシンプルな競技で勝ち負けを競うだけですが、耐久レースは違います。そこには完走という価値観が見い出せます。あなたにとっての人生は「スプリントレース」でしょうか?あるいは「耐久レース」でしょうか? 気候と同じで、人生には晴れた日も雨の日もあります。一番大事なのは、納得した日々の記憶をより多く持つことだと思います。人生の幸せな記憶の多さを競うレースなら、私は喜んでそのレースに参加してみたいと思うのです。 ... 続きを読む